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Channel: こけし千夜一夜物語
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第869夜:友の会20周年記念こけし

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20syunen_inn友の会創立60周年記念展示会では、友の会に所縁のある名品こけしや、会員所蔵の思い出のこけしのほか、毎月の例会で頒布されるおみやげこけしと、周年記念こけしも展示されていた。この周年記念こけしは、創立以来5年毎の周年に作られてきたのだが、25周年(1978年)以降はこけし手帖に記録が残っているものの、それ以前のものについてははっきりしていなかった。但し、20周年(1973年)については、胴底に20周年記念の印が押されたこけしがあることから、それが20周年の記念こけしと思われる。口絵写真は、20周年記念こけしの印。

カメイ美術館での展示を始めるに当たり、この20周年記念の印が押されたこけしは3種類見つかっていた。いずれも鳴子系のたちこ4寸で、遊佐福寿、岡崎斉司、大沼秀雄の3工人のものであり、この3本を60周年記念展示会でも展示していた。

ところが、その後ヤフオクの出品こけしの中に、この20周年記念印が押されているこけしがあるのを見つけ、運よく入手することが出来た。これは大沼力さんの4寸で、たちこではなく通常のこけしである。他の3本がたちこであることから、20周年記念こけしは、鳴子の複数の工人に4寸たちこを頼んだものと思っていたが、そうではなかったのである。また、作った工人はこの4人だけだったのであろうか・・・。同年代の桜井昭二さんや高橋正吾さんが入っていても不思議はないのだが・・・。

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写真(2)、(3)が4人の20周年記念こけしと胴底の記念印である。


第870夜:高橋勘治一家のこけし

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Kanji_tatiko_atama去る21日、カメイ美術館で開催されていた友の会創立60周年記念展示会の撤収作業を終えて帰宅し、二日ぶりにヤフオクを眺めていると、鳴子系のたちこが出品されていた。「高橋勘治一家 4寸 大正期古品」というタイトルと出品写真から、それがあの著名な鳴子古品であることは直ぐに分かった。この日、カメイに展示していた大正期盛のこけしを持ち帰ったばかりであった。この盛こけしは前日まで、西田コレクションの大正期盛(西田記念館では「高橋勘治一家」と呼ばれている)と3カ月間仲良く並んでいたものである。離れ離れになって寂しくなり、仲間を呼んだのではないかと思った。そんなタイミングでの出品であった。出品には即決価格が設定されており、一晩考えて翌日に落札した。口絵写真は、その勘治一家のたちこである。

この出品作のたちこは、その出品者から無為庵氏のものであろうことは直ぐに分かった。無為庵氏のブログ「無為庵閑話Ⅱ」の「こけしの話(45)」に掲載されているからである。その保存状態の良さに感嘆したものである。こけし収集とは全く無縁のある方が祖父の13回忌を機に遺品整理をしたものだそうである。

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写真(2)は、勘治一家のたちこを3方向から見たもの。細身の4寸であるが肩に付けた段がアクセントになっている。実に美しい形態である。頭頂部は細い前髪を二つに振り分け、水引は3筆で左右平行に描いている。一筆の目は眉の位置にすっきりと描かれている。胴の赤い楓と緑の茎葉が鮮やかである。退色は全くなく、保存状態の良さが分かって頂けると思う。

勘治一家のこの手のたちこは、「日本土俗玩具集」に掲載された勘治のこけし4本の中に見られ、また「これくしょん(45号)」では群像として紹介され有名になっている。この「これくしょん(45号)」は昭和16年2月5日に発行され、その中の即売こけしの一葉に小寸こけしの群像が掲載されている。大正期の古鳴子や古高湯が20数本載っており、4寸たちこは8本掲載されている。1本1本フォルムや描彩にも違いが見られ楽しめる。本項のたちこはこの8本とは別物であるようだ。

また、この手のたちこ(米浪旧蔵)は「ひやね」の入札にも出品されたことがあり、「こけし往来(第34集)」の表紙を飾っている。この米浪手と本項のたちこを比べると殆ど同様であるが、1点、鬢が違うことが分かる。米浪手は鬢が2筆であるが、本項のたちこは1筆なのである。「これくしょん」の群像は写真が小さくよく分からないが、1筆と2筆があるようだ。

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写真(3)は本項のたちこ(中央)と福寿の同型のたちこである。福寿作は殆どが右手のように2筆であるが、左手のような1筆風(実際は2筆)もあるようだ。

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写真(4)にカメイから持ち帰った大正期盛と並べて見た。実にしっくりとした2本である。ほぼ同時代に作られ幾星霜を経たこけしだけに醸し出せる雰囲気なのであろう。正に鳴子系の名品である。

第871夜:友の会10月例会(H25年)

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1310reikai_omiyage今日は東京こけし友の会の10月例会があったので、その報告である。出席者は71名で、最近ではやや少なめ。若い方々が少なかったのは、昨日、今日と高円寺で開かれていたイベント「高円寺フェス」の影響かも知れない。今月のおみやげこけしは南部系、松田弘次さんのキナキナ坊。新品頒布こけしは、陳野原幸紀さん、熊谷祐太さん、佐藤裕介さん、長谷川優志さん、井上正孝さん、阿保正文さんの5工人。抽選品は無く、入札は戦後のもの15点。ギャラリーは「佐藤裕介と嘉三郎のこけし」であった。第2部は、旅行会、みちのくこけしまつり、遠刈田ろくろまつり、「今晃の世界」展、高円寺フェスの報告がスライドであった。口絵写真はおみやげこけしのキナキナ坊。

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写真(2)が新品頒布こけし。右から熊谷祐太さん6寸2本、陳野原秀行さん4寸三角胴、長谷川優志さん5寸2本、井上正孝さん5寸、阿保正文さん6寸2本。

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写真(3)も新品頒布。佐藤裕介さんの豆えじこ2種。えじこの中で胴が回る精巧な作りと愛らしい表情で人気があった。

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写真(4)は入札こけし。左から、奥瀬手鉄則達磨絵尺、同くじら目尺、同古型ロクロ8寸、毛利専蔵多兵衛型8寸、今晃金次郎型6寸、同伊太郎型6寸、同文蔵型4寸、同型不明4寸、同文蔵型3寸(弘前署名)、井上ゆき子尺。

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写真(5)も入札こけし。左から星博秋8寸(初期作)、佐藤誠8寸(誠孝署名)、2代目虎吉復元作地蔵型4寸、同虎吉型尺、斉藤弘道8寸、佐藤正一8寸地蔵型、小林昭三6寸。

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写真(6)は例会ギャラリーの小倉嘉三郎こけし(右2本)とそれを継いだ小倉篤、勝志と佐藤誠孝一家(誠孝、英之、裕介)のこけし。

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写真(7)も例会ギャラリーで、佐藤裕介さんのこけし各種。

第872夜:昭三のこけし

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Syozo_s43_kao作27日に行われた東京こけし友の会10月例会で面白いこけしを入手した。例会入札こけしの展示台には、奥瀬鉄則(3本)や今晃(5本)など人気のこけしが並んでいたが、その一角にひょっこり立っていたこけしである。署名は小林昭三、それほど著名な工人ではない。しかし、そのこけしが醸し出す雰囲気は他のこけしとは異なるものであった。目をつける会員も多く、今回の入札では今晃(弘前署名)と共に一番の応札を集めた。そのこけしを紹介しよう。口絵写真はその昭三こけしの表情である。

小林昭三は小林善作の三男であるが、「こけし辞典」でも小林善作の項に『二男信行や三男昭三は善作から描彩の手ほどきを受け、若干こけしを作っている。・・・。後継者に三男昭三等がいるが、他に仕事を持っているので、本格的に就業するに至らない。』とあるだけである。昭和30年代に発行された「こけしガイド」や40年代から50年代に発行された「伝統こけしガイド」「伝統こけしポケットガイド」「伝統こけしハンドブック」には記載がない。わずかに50年発行の「伝統こけし工人手帳」に名前が見えるのみである。一方、平成15年発行の「伝統こけし最新工人録」には記載されており、それによると、「昭和17年3月1日生、小林善作の三男、昭和40年より木地修行を行った。平成15年よりこけしを製作している。」とある。

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写真(2)が本項の昭三のこけし。大きさは6寸2分。「43.1.15」という本人署名がある。昭三がこけしを作り始めて間もない頃の作品と思われる。縦長の四角い頭、胸部がやや細まった太目の胴。眉目は左右に大きく離れ、視線は前方やや上方を向いている。鼻は小さく、口は小さな三日月状で中に赤点を打っている。鬢が細く上方に寄っているので下膨れの表情になっている。おおらかで、のほほんとして、何とものどかなこけしである。昭和39年の東京オリンピックを期に日本全体が急速に近代化していき、こけしにもその影響が表れて、30年代までのこけしと40年代以降のこけしとでは大きな違いが見られる中、肘折の血を引く湯田では、まだこのような郷愁をそそるこけしが作られていたのである。今では決して作ることが出来ないであろうこのようなこけしに出会えるのは実に楽しいことである。

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参考のための「東北のこけし」の写真を借用した。昭三のこけしとしては、昭和56年と63年のものが載っているが、既に愛らしい綺麗なこけしになっており、湯田の風土性は感じられない。右端は善作の42年作となっており、本項の昭三とほぼ同じ時期のもの。似た雰囲気のこけしであり、昭三が参考にしたことが覗える。しかし、善作は目が中央に寄って整っており、昭三ほどの破調は感じられない。

第873夜:橘コレクションのこけし(氏家亥一)

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Ujiie_danso_dai_kaoここのところヤフオクに橘文策氏のコレクションの古品こけしが相当数出品されている。中には橘著「こけしと作者」に写真掲載されているものもあり、かなりの高額で落札されているものもある。保存状態はあまり良くないが、素性のはっきりした昭和1桁のものもあり、私も注目して何本が入手することが出来た。そのこけしを紹介したい。今夜は氏家亥一のこけしである。口絵写真は亥一こけしの表情である。

「こけし辞典」によれば、氏家亥一は明治44年、福島県伊達郡睦合村の生まれ。小学校卒業後、大正14年に中の沢の木地講習会で佐藤豊治について木地修業をした。その後、昭和6年まで岩本善吉についたが、身体が弱いので木地を止め平沢屋の番頭になった。

この氏家亥一のこけしが最初に紹介されたのは、橘文策氏の「木形子談叢」で、そこでは『氏家は旅館平澤屋の息子で、二十才を出たばかりの青年である。木地はあまり熱心でない様であるが。こけしは師の技巧を取入れて土湯系のものを作っている。型の上で特色とする所は、頂辺を切落した様な頭である。色彩は極めて単純で、黒赤二つを主色に組合せて持味としている。年のせいか何となく板につかない危な気がある。ただ胴の轆轤模様だけは土湯系に珍らしく繊細である。無数にひかれた細い線をみていると、瀧ノ原こけしのネバリ強さを聯想させられる』と。写真掲載のこけしは大小2本で、『氏家亥一作 頭飾は赤と黒 純然たる土湯系である』 この「木形子談叢」は昭和10年7月の発行で、その中の「新作者展望」では『ここでいう新作者とは、・・・、武井氏の日本郷土玩具東之部以後に見付け出した作者を、・・・』とあり、「日本郷土玩具東之部」は昭和5年1月の発行であるから、氏家のこけしは昭和5年から10年までの間に作られたものと考えられる。なお、この氏家こけし(大)は「こけしと作者」の81頁の第16図に再掲されており、大きさは尺1寸となっている。

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さて、写真(2)が氏家のこけしである。「木形子談叢」掲載のこけし(大)の現品である。大きさは尺1寸2分。受け取った時点では、全体に相当黒くなっていた。そこで消しゴムで汚れを取ると頭部の黒墨はかなり取れ、頭頂部の黒と赤のロクロ線も鮮明になった。また、顔の描彩もはっきりしてきて、目の廻りを赤く塗っていた痕跡もうっすらと分かるようになった。ただ、胴のロクロ線は赤以外(おそらく紫か?)は殆ど消失しており、「木形子談叢」で見られる鮮やかで繊細な模様は残念ながら再現できなかった。

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写真(3)、(4)は善吉の氏家型(上)と本型(下)の頭部の比較である。頭頂部は氏家型の方がより扁平であり、蛇の目模様は氏家型は赤と黒で本型の緑と黒よりも強烈な印象を受ける。黒のみで櫛形の前髪と短く太い鬢、三日月形の目に写実的な鼻、やはり写実的な赤い口は格調高く、本型のおっとりした表情とは対照的でもある。また、目の周りの赤い頬紅や後頭部のツンゲは両者に共通している。

この氏家亥一のこけしは、現在では善吉作(木地は氏家か?)として通っており、善吉の氏家亥一型として、中の沢の工人達にも引き継がれている。この表情の亥一型は今のところ「木形子談叢」の2本しか知られていないようだ。

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写真(3)は胴底の状態である。善吉の特徴でもある深い鉋溝が真ん中に通っている。また、橘氏のこけし絵のラベル(KOGESHIDO)が貼ってある。

第874夜:橘コレクションのこけし(鈴木安太郎)

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Yasutaro_ttbn_s13_kao今夜も、ヤフオクに出品された橘コレクションのこけしの紹介である。橘氏の著書「こけしと作者」190頁の第79図、左端に掲載されている鈴木安太郎の現品である。「こけしと作者」の写真では出来立ての極美こけしとして紹介されているが、それから75年も経った今では埃にまみれて色も落ち、相当に黒ずんだこけしになっているのは致し方ないのだろう。口絵写真はその安太郎のこけしである。

寒河江の鈴木安太郎のこけしは好きなこけしであるので、これまでも何回か話題にしている。安太郎は大正6年頃より木地業を任され、木地玩具も作っていたらしいがこけし製作については判然としない。昭和12年、川口貫一郎氏の勧めで、父米太郎のこけしを思い出して作るようになったという。以来戦前は18年頃までこけしを作っていた。14年頃からはかなり作っており第576夜に紹介したような作風のこけしが良く知られている。

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さて、本項のこけしは、写真(2)のように胴底に橘氏のラベルが貼られており、昭和13年6月に橘氏が川口氏より入手されたことが分かる。昭和13年のこけしは殆どが川口氏が入手されたものと思われ、「らっこコレクション図譜」76頁にも2本(No326、327)が掲載されている。保存極美で素晴らしい。本項のこけし(8寸3分)も保存状態を除いて、それと同等である。

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安太郎の戦前のこけしと言うと、頭が角ばって縦に長く、眉目も直線的で古武士を髣髴させる鋭角的なこけしが思い浮かぶ。写真(3)左がそれである(第576夜)。右が本項のこけしであるが、かなり違った感じを受ける。製作年代は右が13年、左が14年頃で時期的にはその差は一年あるかどうかである。木地形態では、13年作は頭の縦横の長さが同じくらいでやや丸みを帯びている。首は細めで肩もやや丸い。14年作に比べると全体的に柔らかい印象を受ける。

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次に写真(3)の頭部を拡大して表情を比べて見た。一見、かなり異なる表情に見えるが、目の描法は殆ど同じである。右の13年作では眉毛の湾曲がやや大きく、目と眉も接近している。鼻は小さく、目の高さの位置から描かれている。「こけし辞典」では『戦前作でも古いものほど鼻の上端目より上に達する』とあるが、これは左のこけしには当てはまるが、右のような13年作ではむしろ逆である。全体的に頭が縦長になった分、眉と目が離れ、鼻も鬢も長くなって見た目の印象が変わって見えるのであろう。どちらにしても端正で格調の高いこけしであることは間違いない。

ここのところヤフオクに出品されている一連の橘コレクションのこけしは、かなり汚れて黒ずんでおり保存状態は良いとは言えない。消しゴムで汚れを取ることで多少綺麗にはなるが、色彩までは復活できないのが残念である。

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写真(5)は消しゴムで汚れを取っている最中のもの。送られてきた時は向かって左のように黒ずんだ状態。これを消しゴムで丁寧に汚れを取っていくと右のような状態になる。特に頭頂部は汚れが激しく殆ど真っ黒なので、汚れを取る効果は大きいと思う。但し、胴のロクロ線は赤と黒を除いて、綺麗になる分、色が薄くなるのでそのままの方が良いのかも知れない。

第875夜:こけし行事(談話会、幸紀・国敏実演)

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1311danwakai_kotaro_dai_kao秋も深まってきて、こけし関連の行事も追い込み体制に入ってきた。昨日10には、山寺でこけし塚供養祭が行われた他、東京でも友の会の談話会、とげぬき地蔵尊での土湯こけし展が開かれた。天気予報は午後から雨も降って荒れるとのことで傘持参で出かけたが傘を開くことなく終えることが出来たのは嬉しい誤算であった。今回は、この談話会と土湯こけし展の報告をしよう。口絵写真は、談話会に展示された大寸(尺5寸か?)孝太郎の睫毛付きこけしの表情、なかなかの迫力である。

こけし談話会の今回のテーマは「青根の佐藤菊治と菊池孝太郎」。特に人気のあるこけしでは無く、天気予報や他のこけし行事もあることから参加者が心配されたが、小学生の会員も含めて15名程が参集した。「こけし談話会」のfacebookも参照願いたい。

先ずは、佐藤菊治について考察。正末昭初から昭和3,4年頃までの耳付きの菊治は見られなかったが、戦前から戦後にかけてのなかなか良いこけしが集まった。

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写真(2)は初期の菊治の小寸とえじこ。えじこは籠の中に小寸こけしを入れたもの(底にくっついている)で、愛らしさ抜群!

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写真(3)は戦前の菊治。初期の作に比べて、眉目の湾曲が大きくなってきた頃のもの。左から2本目は、頭頂部の手絡や胴の重ね菊の描法が菊治とやや異なるとの意見もあった。

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写真(4)は(3)の裏模様。写真集などでも裏模様はなかなか見られない。胴裏一面に大きく描かれて華麗である。左から2本目は花が紫で、他の赤とは違う。

次いで、菊池孝太郎の考察。昔から評価の低いと言われる孝太郎。しかし、こうして並べて見るとなかなかのものである。孝太郎の再評価も必要なのではないだろうか…。

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写真(5)は孝太郎の小寸もの。

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写真(6)は戦前の孝太郎。低い評価の原因ともなった睫毛は戦前から付いているようだ(左端の睫毛は戦後か?)。また、湾曲の大きい三日月目は菊治をよく間違われたようだ。

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写真(7)は戦後の作で、自身の戦前作を復元したものなど。

巣鴨のとげぬき地蔵尊高岩寺の信徒会館では、春に続いて、東北復興支援・土湯こけし製作・実演が行われ、陳野原幸紀さんと阿部国敏さんが奥さん共々上京されて、実演に精を出されていた。

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写真(8)は国敏さんの「巨大微笑み返し」。流石の迫力だが愛らしさは小さいものに適わないか・・・。左後方には、幸紀さんの、こちらも巨大な「こけし五重塔」が見える。

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写真(9)は普通サイズの微笑み返し。今や、国敏さんのトレードマークになっている。従来の伝統こけしが殆どなかったのが残念だった。

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写真(10)は幸紀さんの頭に独楽を載せたこけし(左)と胴に豆こけしを嵌め込んだ大こけし。今や、幸紀さんの真骨頂である。

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写真(11)は季節柄、きのこの形をしたカップ。幸紀さんも普通の伝統こけしは殆ど見られなかった。

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写真(12)は、他の土湯系工人のこけしとえじこ。こちらは伝統的なものであった。

第876夜:橘コレクションのこけし(鈴木安太郎2)

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Yasutaro1_ttbn_s13_kao今夜もヤフオクで入手した橘コレクションのこけしの話である。鈴木安太郎のこけしであるが、前回(874夜)紹介したものよりも先に出品されていたものである。安太郎の昭和13年代のものと思われ入手した。その後、874夜の安太郎が出品されたために2本とも我がコレクションに集まったものである。口絵写真は、その安太郎こけしの表情である。

Yasutaro1_ttbn_s13_2men写真(2)が本項のこけしで大きさは1尺2寸2分。頭がかなり大きく迫力がある。安太郎のこけしは頭の大きさと胴の太さがそれ程変わらないものが多いが、大寸物では頭が大きくなる。それでもこれほどの巨頭は初めて見た。小林倉吉の古作にも巨頭のものがあり、山形系の伝統なのかも知れない。大きな頭は横広ぎみで丸みがあり、面描、鬢の描法も874夜の安太郎と似ており、昭和13年の作と思われる。左目の目頭がぼやけているため、精悍な表情ではなく、とぼけた表情になっている。

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なお、このこけしは文献で紹介されたものではないが、胴底に橘コレクションのラベルの痕跡がある。一方、胴裏下部には「天江富弥」と思しき書き込みがあり(写真(3))、天江コレクションから橘コレクション」に入ったものかもしれない。天江コレクションの安太郎こけしは「図譜『こけし這子』の世界」の85頁に2本載っており、その解説では『昭和11年11月の作。復活初期のもの』と書かれている。

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写真(3)(4)に戦前の安太郎こけしを並べて見た。右2本が昭和13年作、左2本が14年作と思われる。頭の形、面描、鬢の形などでその差違は分かり易い。


第877夜:橘コレクションのこけし(盛秀太郎)

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Morihide_s8_rokuro_kao_2今夜も橘コレクションのこけしである。「こけしと作者」147頁の第59図、右から3本目の現品である。「こけしと作者」の不鮮明な写真と比べても胴のロクロ模様などがかなり飛んでしまっていることが分かるが、この型(古型ロクロ)は好きな型で盛美津雄、奥瀬鉄則・陽子・恵介などのものを集中的に集めており、その元となる戦前の盛秀作はぜひ欲しい1本であった。口絵写真は、その盛秀こけしの表情である。

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写真(2)が本項のこけしの胴底に張られた橘コレクションのラベルである。これから、このこけしは橘氏が1933年(昭和8年)12月5日に入手されたものであり、当時は長オボコ(古型)と呼ばれていたことが分かる。

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写真(3)が本項のこけしで大きさは1尺3分。ヤフオクに出品されている橘コレクションの他のこけしと同様、相当に黒くなっており消しゴムで汚れを取ってみたが、木地自体が黒くなっていてそれほど綺麗にはならなかった。胴も黒ずんだ上にロクロ模様もかなり消えかけているが、どういう訳か飛び易い紫色が残っている。使われた染料が違うのであろうか。

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写真(4)は左が本項のこけしで右が盛美津雄の同型のこけし(第753夜)である。良く似ているが頭の形や胴のロクロ線の配色に違いが見られる。この型の盛秀こけしは何本か知られており、それぞれに違いがあるのであろう。

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さて、本項のこけしを見ていて気付いたことがあった。それは目の描法である。写真(5)は右目の拡大である。上に凸の長い上瞼を描き、水平の短い下瞼を描き、その間に下に凸の眼点を入れている。この眼点は塗りつぶしでないため上瞼との間に白目が残っている。津軽系の古作こけしには白目のこけしも散見されるが、盛秀こけしにも同様の目があることは、今回現品を手元で見て初めて知ったことである。

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写真(6)に美津雄のこけしと並べて見た。美津雄のこけしは眼点を完全に塗り潰している。そのため、盛秀の目は白目が光って見え、美津雄とは表情が微妙に異なる。また、頭頂部も盛秀は色を塗っていないが、美津雄は赤く塗っている。美津雄が参考にした盛秀こけしがそうなっていたのかも知れない。

第878夜:「たんたん」即売会

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1311tantan_kiichi昨14日(木)は高幡不動の「たんたん」で、こけしの即売会があったので出掛けて見た。即売開始は午後1時、平日の昼間であり古品が中心の即売会ということで時間と財布に余裕のあるリタイア組が多いと予想されたが、若手や女性も散見され、20人を超えていたために販売順は抽選となった。私が引いた番号はまずまず7番、第1回目では以前から欲しかった藤井梅吉をゲット、逆順の第2回目は好みの大沼希三を入手できて満足の即売会であった。当日、どのようなこけしが出品されていたかを紹介しよう。口絵写真は出品こけしの喜一2本と長次郎。

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写真(2)(3)は「たんたん」の店内。3面の棚の目線の高さの段に今回出品の古品を中心としたこけしが並んでいた。

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写真(4)(5)は一番奥の棚。希三、善松、豊治、芳蔵(本人型)、新次郎、喜平、定雄、円吉などが見える。

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写真(6)(7)は正面の棚。喜一、岡崎久太郎、佐藤菊治、常吉、市太郎、宮本永吉、精助、本田久雄、長次郎などが見える。

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写真(8)(9)は横の棚。岩蔵、丑蔵、民之助、謙蔵、梅吉などが見える。

第879夜:鳴子こけし行脚(1)

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1311naruko_annaiban17日(日)から昨20日(水)まで、鳴子の温泉ツアーに参加してきた。鳴子温泉に3泊するツアーで鳴子では自由行動。交通費と3泊6食付で44,800円。二人以上での参加なら一人34,800円となるからリーズナブルなツアーである。但し、1日目は昼過ぎの出発で宿到着は17時。また4日目は10時に宿出発なので、3泊しても行動できるのは、2日目、3日目の2日間だけということになる。口絵写真は鳴子温泉駅の案内板。

17日、12:08発の東北新幹線「やまびこ137号」で出発。参加者は37名ということで盛況なツアーである。14:16仙台着、宿(幸雲閣)の送迎バスに乗る。交通費節約のためなのだろう。途中、道の駅でのトイレ休憩を含めて2時間弱で宿に着いた。

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写真(2)は宿である幸雲閣と送迎バス。幸雲閣は鳴子温泉駅から仙台方向に徒歩15分ほどのところ。

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写真(3)は部屋。コンパクトであるが清潔で必要なものは全て揃っており、居心地が良い。浴衣やタオル、歯ブラシなどは毎日新しいものと替えてくれた。

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写真(4)は第一日目の夕食。お造り(3種盛)、魚介の寄せ鍋、肉の陶板焼き、野菜の煮物、卵とじ、・・・など十分な品数と量であった。食事の内容は毎日変わるので飽きることはないだろう。風呂は露天風呂付きの大浴場(掃除の1時間を除いて24時間可)が1つだが、隣の別館の大浴場も使えるとのこと。

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写真(5)は二日目の朝食会場。バイキング方式であり、メニューは毎日殆ど変らないようだ。

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朝風呂を浴び、朝食を済ませてから、いよいよこけし行脚1日目の始まりである。先ずは大沼秀雄さん宅へ。友の会創立60周年記念祝賀会への参加のお礼を言う。秀雄さん、この11月に秋の叙勲を受け、奥さんと一緒に皇居まで行ってきたのだと言う。「瑞宝単光賞(消防功労)」、長年の消防団活動の功績が認められての受賞であり、地元の新聞にも大きく記事が載っていた。写真(6)に表彰状を持った秀雄さんを写真に撮らせて貰った。秀顕さんは月末からの人形の家でのこけし展で大忙しとのこと。

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写真(7)は、秀雄さん宅斜め向かいの「高勘」の跡地。鳴子の老舗もとうとう痕跡を残すのみとなってしまった。結構な斜面に建っていたことが分かる。

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次いで、菅原和平さん宅へ。写真(8)がお土産屋さんも兼ねている立派な自宅兼工房。奥さんが美味しいコーヒーを入れて下さった。

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写真(9)、菅原和平さん。60周年行事では、深澤コレクションの借用や記念祝賀会への出席など大変お世話になった。お礼を言う。和平さんは自分のこけし以外に鈴木庸吉型のこけしも作っている。今回は持参した庸吉こけしの写し製作もお願いして来た。

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写真(10)は和平さんが現在作っている庸吉型。深澤コレクションの庸吉を元にしているようだ。

鳴子峡、川沿いの遊歩道は大震災以来の復興工事中で通行止め。そのまま駅前まで戻って、山菜そばの昼食を摂り、福寿の店で福寿さんの13回忌の焼香をして奥さんと暫く昔話。正吾さん宅に電話するが不在なので、近くの吉田勝範さんを訪問。ちょうど別のお客さんも来て、その方が話好きで延々2時間ほど歓談。勝範さんは忙しいだろうに、厭な顔一つせずに対応して頂いた。18時から宿の夕食なので、正吾さんに電話をすると帰宅されていた。急いで正吾さん宅へ。結局、勝範さんの写真を撮り忘れてしまった。

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写真(11)は高橋正吾さん。今日は病院に行っていたのだと言う。持参した武蔵古作を前に昔話を聞く。正吾さんにも武蔵の写しをお願いし、タクシーを呼んで貰って急いで宿へ戻る。予定していた熊谷正さんが不在だったが、1日たっぷりこけしと工人さんに浸ってきた。

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写真(12)(13)は2日目の夕食とおしながき。

第880夜:鳴子こけし行脚(2)

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1311naruko_yoshi_hyosatuこけし行脚2日目は、鳴子温泉の中心から少し離れた高橋義一、森谷和男の両名を訪問する予定になっていた。いずれも車を使わないとなかなか行けない場所である。義一さんの所へは何回か行っているが、いつも川渡の駅まで迎えに来てもらっていた。森谷さんのお宅はさらに1駅仙台寄りの池月で、初めての訪問である。「高勘」デーのこの日の最後は柿澤是隆さんのところ。そこで、熊谷正さんに電話をすると在宅しているとのことで急遽訪ねることにした。口絵写真は義一さん宅のこけし表札である。

 

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写真(2)は幸雲閣のバイキング朝食。トレイの左手前はなめこオロシ、右手前には長ナス、しそ巻き、玉こんにゃくなど地元の食材を取ってきた。

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写真(3)は、ようやく辿り着いた義一さん宅の玄関。勘治型と普通型の大きなこけし絵が玄関先を飾っている。

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写真(4)の右手が工房。こちらにも入口の引き戸にこけし絵が描かれている。

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写真(5)は工房の中。ロクロ台の周りには、木取りされた材木がきちんと積まれている。

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写真(6)はイベントなどの実演でも被っている手拭を見せて貰った。笑顔が素敵な義一さん、目前に迫った横浜人形の家でのこけし展用の作品製作に大忙しとのことであった。

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写真(7)は義一さん宅の周りの風景。集落の外れの畑の中である。

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写真(8)は近くの中華店で食べた「岩のりラーメン」。厚いチャーシューも2枚入っており、ボリューム満点でお腹がいっぱいになった。

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写真(9)は森谷和男さん宅。居間の襖を開けると、奥の間には森谷さんの作品各種が並んでいる。森谷さんは85歳、「高勘」工人の最長老である。耳が遠いようで補聴器を使っておられたが、常に笑みをたたえた穏やかな好々爺である。昔の話を聞いてみたが、詳しいことは覚えていないようであった。

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写真(10)は居間の角に置かれている勘治型など大寸物。

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写真(11)は急遽訪問した熊谷正さんと以前に作ったこけし。昨日は病院に行っていて不在だったとのこと。昨年、大手術をして、その後の体調は今一つで力が入らないとのこと。無理をしないで休養に努めて貰いたい。

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写真(12)は柿澤是隆さんのお店。持参した「高勘」の各種こけしを前に、色々と話を伺った。

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写真(13)は是隆さんの新作。「高勘」のこけしをベースにして是隆さんが編み出したもの。顔の上方に付いた目尻の上がった瞳がきかん気娘を思わせる。淡く付けた頬紅が愛らしい。是隆型(是隆こけし)と言ってよいだろう。「高勘」の主要なこけしを作り尽くした是隆さんが、それらの上に、今後どのようなこけしを作っていくのか注目される。

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写真(14)は地元の収集家のお宅に連れて行ってもらったもの。部屋の壁全面に飾られたこけし群像に圧倒された。流石に地元の収集家は凄い。

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写真(15)は、今回の鳴子訪問で入手したこけし。こけしの入手を目的とした訪問ではなかったが、それでもこれだけ集まった。左より大沼秀雄さん6寸、83歳になってからの作とのこと、岩太郎家の品格は相変わらず。2本目からの3本は森谷和男さん。戦後の盛さんの優しい表情を写している。ただ勘治型5寸は異色。太目の胴にヤブにらみの表情は凄い。勘治型でも他のものは優しい表情なので一際目立つ。5本目の帽子こけし5寸は熊谷正さん。体調の優れない中頑張って作ったのだろう。キリットした目が素敵。右から2本目、3本目が是隆さんの新作「きかん気娘」6寸。目は二重と一重の二種類、胴模様も菊とナデヒコの二種類。黄胴と頬紅が印象的。右端は勘治型5寸3分、好きなのでつい求めてしまう。

第881夜:橘コレクションのこけし(新山栄五郎)

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Ei5ro_s5_kaoここのところ、ヤフオクに古品の出品が続いている。保存状態は良くないが昭和一桁台が中心の「☆激安…」さんは出品本数が100本を大きく超えた。一体どこまで続くのであろう。一方、昭和10年代が中心だが保存状態の良い「宝舞★・・・」さんの出品も続いている。人気のこけしは相当の価格になり、年金生活の懐を直撃する。古品は偶に出るから頑張れるのであって、こう常時出てくると金持ち以外は対応しきれない。指を咥えて見ているしかない。さて、今夜は以前入手した橘コレクションの新山栄五郎である。「こけしと作者」96頁の第26図、右から3番目の現品である。口絵写真は、その表情である。

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写真(2)がその栄五郎こけし。大きさは1尺4分、胴は頭への嵌め込みで南部系のキナキナのように緩く、頭にはガラが入っているので、胴を持って振ると頭がくらくら揺れてガラの音がする。何とも玩具っぽくて良い感じである。

栄五郎こけしの年代変化については「木の花(第弐拾九号)」で詳しく述べられている。それによると、栄五郎の髷こけしは大正の初めに仙台で開かれた博覧会の為に作られたもののようだ。当初のものは頭が異常に大きく胴は短めで三等身であった。

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写真(3)は頭頂部と胴底のラベル。本項のこけしには橘コレクションのラベル以外に年代を示すような書込みなどはないが、頭頂部の髷の鹿の子模様が繋がっていないなど、「木の花」掲載写真⑥と共通する特徴があり、同じ頃(昭和4,5年頃)の作品ではないだろうか。ただ、「木の花」⑥と比べると頬がふっくらしており、その分眉目が真ん中に寄っておらず、ゆったりした表情になっている。細く鋭く描かれた眉目、点状の鼻と口、小さな頬紅が愛らしく、素晴らしい出来である。

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この栄五郎も橘コレクションの他のこけしと同様、写真(4)左のように相当に黒く汚れていた。特に頭頂部の鹿の子模様は殆ど隠れていた。例によって、消しゴムでの汚れ落としで写真(4)右のような状態となり鹿の子模様も鮮明になった。胴は上部のみ汚れ取りを行った。全体的には程良い状態になったものと思う。

第882夜:友の会11月例会(H25年)

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1311reikai_omiyage24日(日)は、東京こけし友の会の11月例会があったので、その報告である。5月より10月まで巣鴨のとげぬき地蔵尊高岩寺さんに会場をお借りしていたが、今月から新装なった神田の「フォーラムミカサエコ」にて例会を開催することになった。会場は内神田東誠ビルの7階。1階の入り口に案内が出ているので間違いなく行けると思う。会場は以前のフォーラムミカサよりも広く、机もあってゆっくりとこけしを楽しむことが出来る。ドイツ人の方数名を含めて80名の出席があった。おみやげこけしは、土湯系の今泉源治さんの地蔵型3種。新品こけし/中古こけしの頒布、抽選・入札と進み、第二部は鳴子訪問報告のスライド、拡大版ギャラリー「作並こけし」でお開きとなった。口絵写真はおみやげこけしの3種である。

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写真(2)は会場のある「フォーラムミカサ エコ(東誠ビル)」の入口。ドアの前に会場案内が出ている。

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会場はビルの7階。エレベータを降りて左手が会場となる。写真(3)。

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写真(4)が会場の内部。机と3人掛けの椅子が並んでいる。

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写真(5)は子供を含むドイツ人の参会者。

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写真(6)は新品頒布こけし。左より佐藤英之さん(弥治郎系)の誠型と栄治型。次いで佐藤一夫さんの珍しい中が回るえじこ、日下秀行さん(遠刈田系)、本間功さん(木地山系)、沼倉孝彦さん(木地山系)のこけし。

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写真(7)は今や新品頒布の目玉となった西山敏彦さんのアイデア子持ちえじこ各種。頒布は毎回10点なので、籤運が良くないとなかなか手に入らない人気作品。今回は年末・年始をテーマとしたもの。左からクリスマスツリー、クリスマスケーキ、鏡餅、サンタクロース、雪だるま。

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写真(8)は入札のこけし。後列左から、奥瀬鉄則(1尺と8寸)、今晃の伊太郎型8寸、佐藤吉之助8寸、二代目虎吉1尺1寸、佐藤正一(60才)8「寸、渡辺喜平1尺。前列左から、今晃4寸2本、珍品の渋谷安治4寸、二代目虎吉地蔵型5寸、斎藤弘道地蔵型6寸。一番人気は保存完璧の佐藤正一であった。

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写真(9)は抽選のこけし。鈴木征一の初期作、石原日出男の甚四郎型、今晃の笹竹こけしとぶっつら、佐藤英太郎の秀作、それに珍しいえじこを含む野地忠男のこけし各種が見られた。

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写真(10)はスライドを使った「拡大版ギャラリー」の様子。

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写真(11)はギャラリーで展示された作並のこけし。大きさと形を揃えた作並系工人のこけし群は圧巻である。

第883夜:鳴子こけしまつりin人形の家(H25年)

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1311ningyo_manekineko今日29日から、横浜の人形の家で毎年恒例の「鳴子こけしまつり」が始まった。会場前の「山下公園通り」は銀杏並木の名所となっており、今年も通りが黄色に染まっていたが、銀杏の葉っぱも大分散ってしまっていた。例によって初日の人出が一段落した午後2時過ぎに会場に顔を出した。会場には顔見知りの方もおられたが、やがて人も減って落ち着いた雰囲気となった。会場の雰囲気を紹介したい。会期は12月1日の日曜(但し、最終日は15時半まで)まであるので、ぜひ足を運んで貰いたい。口絵写真は、早坂利成さんの入れ子の招き猫である。

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写真(2)は銀杏で黄色く染まった会場前の山下公園通り。

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写真(3)は会場内。人出も一段落して落ち着いた雰囲気になっている。手前が入口。

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写真(4)は毎年上京される鳴子の(元)若手4人衆。右から大沼秀顕さん、柿澤是伸さん、高橋義一さん、早坂利成さん。

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写真(5)はロクロ線を入れている義一さん。

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写真(6)は今年のスペシャル、子持ちえじこ。各えじこ、それぞれに15個の豆こけしが入っている。えじこは秀顕さん、義一さん、利成さん、是伸さんの作で、この時点では義一のものが売れてしまっていた。

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写真(7)、(8)、(9)は高橋義一さんのコーナー。

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写真(10)、(11)は大沼秀顕さんのコーナー。

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写真(12)、(13)は早坂利成さんのコーナー。

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写真(14)、(15)は柿澤是伸さんのコーナー。


第884夜:鳴子こけしまつりで入手したこけし

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1311ningyo_yoshikazu_ejiko昨日は横浜「人形の家」に鳴子こけしまつりの実演を見に行ったが、そこで入手したこけしを紹介しよう。会場では、購入2000円毎に1回抽選を引くことが出来て、1尺2寸あまりのこけしの他、鳴子の名産品など、空くじなしで当たるようになっており、これも楽しみである。口絵写真は、入手した高橋義一さんのえじこで帽子を脱いだところ。小物ながら凛々しい表情が素晴らしい。実際には写真(3)に示すように帽子を被っている。

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写真(2)は、3回のくじ引きで当たった景品。左からこけし絵ハガキ2枚組、「NARUKO-CHAN]のエコバッグ、鳴子温泉水を使用したミネラル還元水素水(500ml)。空くじ無しが嬉しい。

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写真(3)が、会場で購入したこけし。右から、高橋義一さんの帽子えじこ。径1寸5分。帽子はすっぼり被るのではなく頭の上に乗せるタイプ。頭は嵌め込みで回り、肩にはウテラカシが入り、小寸ながら凝った造りになっている。

右から2本目と3本目は大沼秀顕さんの一筆目竹雄型。最近意欲的に取り組んでいる型で、全国こけし祭りでは東北経済産業局長賞を受賞した。大きさは5寸5分で胴はやや細め。いつも作っているこけしとはやや作り方を変えている。一筆目の温和で柔らかい表情が素晴らしい。

左の2本は柿澤是伸さんの「きかんき娘」。ほぼ一週間前の鳴子訪問の折、是隆さんの新作として見せて貰ったもの。それを是伸さんが早速作ったのだそうだ。せっかくなので、両者のこけしを比較してみることにした。但し、是隆さんは二側目と一側目の2種類を作っているが、是伸さんは未だ二側目の1種類(模様は2種類)のみ。

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写真(4)、(5)は、真ん中2本が是隆さんで、両端が是伸さん。先ず、頭と表情。是隆さんの眉と目は釣り上り気味に、かなり顔の上方に描いている。それに比べ、是伸さんはやや下方。是隆さんからはもっと上の方に描くようにと言われたそうだが、どうも下になってしまうとのこと。鬢は、是隆さんが高勘の古式に則って大きくバッサリと描いているのに対し、是伸さんは小さく纏まっている。また、このこけしの特徴の1つである頬紅の位置が違う。是伸さんのは鬢の下方近くにこじんまりと描かれているので頬紅とは印象がやや違う。やはり是隆さんのように目の下でほんのりとやや大きめに描かれているのが心地良い。

次いで胴模様。是隆さんのは寄せ菊、撫子とも中央に寄っていて、前から全体が見えるように描いているが、是伸さんは胴の横から裏の方まで広がっている。やはり是隆さんは自身が考えた胴模様で構図全体に纏まりがありデザイン的にも優れているようだ。是伸さんはそれを真似て、今回の展示に間に合うように作ったばかりなので仕方ないだろう。この是隆型が今後どのように引き継がれ変化していくのか見守っていきたい。

第885夜:橘コレクションのこけし(伊豆定雄)

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Sadao_izu_ttbn_kao早いもので、今年も師走を迎えた。夏が長く、秋が短かったような気がする1年であった。こけし関連の行事も、東京近辺では今日まで開催されている鳴子こけしまつり(人形の家)と山河之響の会の四人展を残すのみとなった。ヤフオクでは、橘コレクションの古品出品が続いており150点ほどにもなったが最近は「こけしと作者」に載っているような著名なこけしは少なくなったようだ。今夜は最初のころに入手した伊豆定雄のこけしである。口絵写真はその表情。

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写真(2)が伊豆定雄のこけし。大きさは6寸5分。「こけしと作者」の180頁、第73図の左から2番目の現品である。古色が付いて黒く汚れており、前面の緑ロクロ線はほぼ消えてしまっている。中括れの大きな胴、低い肩の山、やや縦長の頭にオカッパの髪、大きな瞳が愛らしい。定雄は大正時代からこけしを作っていたようだが、文献では昭和5年発行の日本郷土玩具(東の部)掲載のものが一番古いようだ。そのこけしは頭は本項のこけしより丸いが木地形態はほぼ同様で、解説では「絵蝋燭の感じ」と評されている。胴模様は大輪の正面菊を2輪描いている。本項のこけしと同様のこけしは、「こけし辞典」と「愛玩鼓楽」に掲載されており、いずれも4段の重ね菊模様で昭和8年作となっている。「愛玩鼓楽」では『オカッパの中剃りは緑。肩の段の上は緑のロクロ線で塗られている。面取りは大きく底は鋸挽き。作り付け。胴模様の葉は描かれない。』

本項のこけしは「愛玩鼓楽」の解説と一致しているが、中剃りと肩上面が緑かどうかは判然としない。頭が縦長でオカッパの髪がかなり多いために顔の面積が狭くなり、左右の目が真ん中寄りで、細面の美人こけしとなっている。後年、定雄のこけしは頭が横広気味になって左右の目も離れて、ややコケティシュな味わいを持ってくるのであるが、本項のこけしは正統派の美人である。

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写真(3)は左が頭頂部の中剃り、右が胴底に貼られた橘氏のラベル(の痕跡)である。 

第886夜:銀山温泉と伊豆工房

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1312ginzan_tentou今週の3日、4日と大人の休日倶楽部のフリー切符を使って銀山温泉に行って来た。銀山温泉には今年の3月にも行っているのだが、その時は宿が温泉街から少し離れた所にあり、やはり温泉街の中に泊ってみたかったのである。銀山温泉と言えばこけし工人の伊豆護・徹父子がいる。前回は会えなかった護さんに会い、徹さんにはこけしとえじこの作成を依頼でき、温泉街の大正ロマンに浸った2日間であった。口絵写真は日暮れと共に灯が入った温泉街のガス灯である。

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写真(2)(3)は宿をとった、温泉街中央の永澤平八旅館(右手手前)と温泉街の朝と夜景。

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写真(4)(5)も温泉街の風景。(5)は宿の部屋(3階)から温泉街を見下ろしたところ。丁度、ガス灯の清掃をしていた。この後、このガス灯に灯が入ったのが口絵写真。

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写真(6)は温泉街から離れた所にある、伊豆徹さんの工房兼お土産店。徹さんと奥さんは昼間はこちらに居て、徹さんはこけしを作っている。

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写真(7)(8)は工房内の部屋。徹さんはこの部屋でこけしの描彩を行っている。(8)は持参したこけしとえじこを見ながら寸法や特徴をメモしているところ。これと写真を元にして作るので、原のこけしを預ける必要はない。預かって何かあると困るので・・・とのことである。

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写真(9)は鹿の角。工房と店の間の通路には有名人の写真や鹿の角が飾ってある。徹さん、実は猟師でもあって、北海道まで鹿を捕りに行くのだそうだ。その成果の鹿の角が、通路の他にも工房内に20~30程も飾ってある。

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写真(10)は温泉街の奥まった所にある伊豆さんの自宅兼おみやげ店。こちらには、護さんと奥さんが居り、徹さん夫婦も夜間はこちらに戻ってくる。

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写真(11)は護さん。大正14年生まれで88歳になると言うが、耳が少し遠いものの頗る元気。この場所で、誕生こけしの描彩をしているのだと言う。

第887夜:英太郎(昭和36年)

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Etaro_22sai_kao思いがけず佐藤英太郎のこけしを入手した。数多く世に出回っている英太郎のこけしであるが、国恵志堂コレクションには数本しか所蔵されていない。良い時期の英太郎があれば欲しいのは山々であるが、そういう作品は価格も高くなかなか手に入らないのである。今夜のこけしは特に意識もせずに見つけたものであるが、よくよく見ると初期英太郎のなかなか良い表情であり、紹介することにした。口絵写真はその表情である。

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写真(2)が全体像である。大きさは9寸2分。一見すると19歳英太郎を髣髴させるようなこけしである。胴底には昭和36年と書いてある。昭和33年に森田丈三氏の勧めにより衝撃的なデビューをした英太郎、その33年(19歳)作は「19歳英太郎」としてコレクター垂涎の的であり、今では1級の古品並みの価格で取引される。その英太郎も20歳台になると作行に溌剌さがなくなり、やがて36年にはこけし製作を見限って転職してしまうのである。この33年から36年までが英太郎こけし製作の第1期である。本項のこけしは、その転職するまさに36年の作ということになる。

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たまたま、ヤフオクに同じ梅模様の19歳英太郎が出品されているので、その出品写真を拝借して本項のこけしと比較してみた(写真(3)(4))。なるほど、このように並べて見てみると、36年作では筆の勢いが弱くなり、やや大人しい表情になっているのが分かる。その一方で、直助こけしに見られる情緒的な雰囲気が出ていると見ることも出来るであろう。20歳以降の英太郎は作行にバラつきが見られるようになるが、中にはハッとするような作品も混在している。

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写真(5)に胴底の署名を示す。左が19歳、右が本項のこけし。勢いのある19歳筆に比べて、何とも弱々しい情けないような筆致である。当時の英太郎の心情を現すかのような文字である。

第888夜:鈴木征一の初期作

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Seiichi_s52_kao12月も1/3を過ぎ、今年も残り20日余りとなった。第3次こけしブームなどと言われる昨今であるが、この年末・年始に東京近辺のデパート等でこけしの展示・即売会があるという話は聞かない。昭和40~50年代の第2次こけしブームの頃には、各デパートが競って展示・即売会を行い、多くの工人が実演のために上京したものであった。あの頃の狂信的な熱気はもう戻らないであろう。さて、今夜は友の会例会の抽選で入手した鈴木征一のこけしである。口絵写真はその表情アップ。

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写真(2)が本項の征一のこけしで、大きさは7寸3分。通常良く目にする征一のこけしとは異なった雰囲気で、面描、胴模様とも手慣れた感じはしない。胴底には「52.7」の鉛筆書きがある。

鈴木征一は昭和19年の生まれ、昭和47年から奥山庫治について5年間の木地修業を行い、52年5月からこけしを発表したと「伝統こけしハンドブック」に記載されている。「52.7」は入手年月と考えられるので、このこけしは征一の極初期のこけしと思われる。通常、新人工人のこけしは師匠のこけしを真似たものになるのであるが、未だ手慣れていないこともあってか独特の雰囲気を持ったこけしとなることが多く、その辺りが初期こけしの魅力とも言えるだろう。本作でも、両目が真ん中に寄って肘折らしいややグロテスクな味わいが感じられる。胴模様の重ね菊もぎこちないが、それが稚拙の美を醸し出しているとも言える。

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写真(3)左は昭和30年前後の喜代治のこけし。表情、胴模様とも師匠の庫治よりも喜代治の俤を髣髴させるこけしになっている。ただ、この雰囲気のこけしは長くは続かなかったようだ。

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