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Channel: こけし千夜一夜物語
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第839夜:友の会展示の古品

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130710kamei_eijiro_kutie昨夜に引き続き、友の会創立60周年記念展示会の紹介を続けよう。今夜は古品編である。友の会に関係のある方々の古品の中から、数点ずつを選んで各所蔵元からお借りし、展示を行った。更に、これに関係深い古品を会員の蔵品の中から選んで追加した。これらを、展示室内の展示ボックス5個の中に格納して展示してある。素人の写真のため、こけしの写りが悪くて申し訳ない。ぜひとも、カメイ美術館にて、現品をご覧頂きたい。口絵写真は明治期の栄治郎3本。

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岡崎栄治郎。左は仙台屋蔵1尺6分(明治29年)、中央は友の会蔵1尺6分(明治29年)、右は会員蔵1尺。

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左は岡崎栄治郎8寸5分(名和好子氏旧蔵)、右は我妻勝之助1尺2寸(名和好子氏旧蔵)。

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左は遠藤幸三6寸(柴田長吉郎氏旧蔵)、右は岡崎長次郎4寸6分(会員蔵)。

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左は阿部常吉1尺1寸(会員蔵)、右は阿部常松(小野洸氏旧蔵)

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高橋勘治。左は深澤要氏旧蔵1尺1寸2分、右は西田峯吉氏旧蔵1尺1寸7分。

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左は高橋盛8寸2分(会員蔵)、右は高橋勘治一家8寸(西田峯吉氏旧蔵)。「古計志加々美」に「原色版」「白黒版」として掲載されたもの。

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左から、高橋寅蔵7寸3分(名和好子氏旧蔵)、大沼甚四郎8寸5分(深澤要氏旧蔵)、大沼甚四郎8寸5分(西田峯吉氏旧蔵)、庄司栄吉6寸1分(深澤要氏旧蔵)。

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左から、宮本惣七6寸5分(柴田はじめ氏旧蔵)、高橋武蔵8寸(柴田長吉郎氏旧蔵)、岡崎斎7寸5分(名和好子氏旧蔵)、遊佐民之助7寸5分(名和好子氏旧蔵)。

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小原直治。左は深澤要氏旧蔵7寸、中央は小野洸氏旧蔵7寸、右は亀井昭伍氏蔵7寸。

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左から、岩本善吉1尺2寸6分(名和好子氏旧蔵)、岩本善吉7寸3分(武田利一氏旧蔵)、阿部治助1尺3分(小野洸氏旧蔵)、佐久間浅之助5寸3分(亀井昭伍氏蔵)。

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左は佐藤勘内7寸8分(小野洸氏旧蔵)、右は佐藤伝内8寸1分(西田峯吉氏旧蔵)。

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左から、新山栄五郎7寸4分(会員蔵)、新山久治1尺5寸2分(深澤要氏旧蔵)、佐藤栄治7寸9分(深澤要氏旧蔵)、佐藤栄治6寸(会員蔵)。

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左から、奥山運七8寸5分(西田峯吉氏旧蔵)、佐藤周助9寸6分(小野洸氏旧蔵)、佐藤周助1尺5寸(名和好子氏旧蔵)、肘折不明3寸6分(会員蔵)、佐藤周助6寸3分(会員蔵)、佐藤周助6寸4分(会員蔵)。

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高橋胞吉1尺5分(柴田はじめ氏旧蔵)。

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左は小林倉吉1尺1寸(柴田はじめ氏旧蔵)、小林倉吉7寸(柴田はじめ氏旧蔵)、平賀謙蔵8寸(柴田長吉郎氏旧蔵)。

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小椋久四郎。左は柴田はじめ氏旧蔵1尺、中央は会員蔵1尺3寸、右は会員蔵8寸。

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佐々木与始郎。左は会員蔵1尺3寸、右は亀井昭伍氏蔵1尺3寸。

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左は斎藤幸兵衛8寸1分(会員蔵)、中央は盛秀太郎5寸3分(会員蔵)、左は盛秀太郎6寸9分(会員蔵)。

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左は佐藤伊太郎8寸(亀井昭伍氏蔵)、島津彦三郎4寸5分(柴田はじめ氏旧蔵)。


第840夜:友の会展示の会員出品作

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130710kamei_mandara今夜も、友の会60周年記念展示会の続きである。友の会会員65名の「思い出のこけし」が約300本余り展示されている。出品はひとり5本以内で、古品あり、最近作あり、渾身の1本あり、細工物ありで、バラエティに富んでいる。各人各様のこけしの集め方、楽しみ方が垣間見られて面白い。口絵写真は、1尺8寸のこけし曼荼羅(佐藤佳樹作)の一部。三段に配して周囲に嵌め込まれた豆こけしは壮観で圧倒される。

以下、展示会場を入って右手の棚一面に並べられたこけしを紹介する。

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以下は、左手の棚に並べられたこけしである。

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第841夜:遠刈田訪問(70万アクセス達成!)

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130709togatta_sanae_syamojiカメイ美術館での展示会の準備やオープニングパーティ等で東京、仙台を往復している間に、本ブログのアクセス数が70万件を越えていた。60万件達成が昨年の12月中旬、以来7カ月で10万アクセスを数えたわけで、これは50万件から60万件にかかった期間とほぼ同じである。但し、50万から60万の間には88話を書いたが、60万から70万の間では47話と約半分。せっかくアクセスしてくれたのに更新されていなかったことが多かったことをお詫びすると共に、今回の70万達成を感謝申し上げる。さて、今夜はカメイ美術館に行ったついでの遠刈田まで足を延ばしたので、その報告である。口絵写真は、達曽部早苗さんの絵付けしゃもじ。

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写真は、上から佐藤哲郎さんと六文銭こけし。真田幸村公直系の仙台真田氏に伝来する「仙台真田氏の名宝」展にちなんで作成したこけしで、胴模様の重ね菊の上から2番目を六文銭に置き換えている。六文銭の円形を描くのが難しかったとのこと。

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写真は、上から丑蔵庵のこけし展示室、佐藤英裕さん、実演中の英裕さん、美轆展用に作成中のこけし。訪問中に観光バスが到着し観光客が入ってくると、英裕さんはすぐさまロクロに向かって実演を始めた。美轆展用のこけしは4寸強。今、若い女性に人気のサイズだ。

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写真は、佐藤勝洋さんと近作こけし。組合の理事長になって忙しい中、久しぶりということで6種類の胴模様を描いてくれた。豆こけしは一番小さいのが1寸5分。勝洋さん得意の枝梅と木目模様を選んでみた。

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写真は、達曽部早苗さんとこけし。蔵王こけし館の実演当番で来館していた。各種のイベントに出品しているため、こけし館売店のこけしは少なかった。胴模様では、ボタ菊が得意で梅模様は○を沢山描くのでちょっと面倒とのこと。

第842夜:進矢さんの近作

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Shinya_kogata_kaoカメイ美術館での友の会60周年記念展示会は7/9から始まり、13日(土)には16時半からオープニングパーティが開催された。友の会のメンバ、青葉こけし会の皆さん、工人さん、こけし愛好家の皆さんなど、50名ほどが参集して、賑やかな幕開けとなった。展示会は10/20まで開催されており、多くの皆様に見て頂きたいと思う。さて、3月に温海温泉に泊まった時(第814夜参照)にお願いしていた阿部進矢さんのこけしが届いたので、今夜はそのこけしを紹介したいと思う。訪問した折には5月下旬ころには出来るということであったが、若干遅くなったものの良い作品を送って頂いた。口絵写真は、そのこけしの表情。

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3月の訪問時に、進矢さんのお店の棚に並んでいた各種のこけしの内、常吉の古型2種をお願いした。写真のこけし2本がそれである。左6寸7分、右5寸5分。左のこけしでは角ばった頭、紡錘型の目、括れが大きく胴下部が開いた形態、肩部の赤と緑の模様などが古型の特徴なのであろう。また、右のこけしでは胴よりも小さな頭と胴模様の花の茎が赤で描かれているのが特徴か。そう言えば、カメイ美術館に展示されている常松のこけし(第839夜、上から4枚目の写真)も胴模様の茎が赤で描かれている。

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こけし以外では、模様違いのこけし独楽を頼んだ。こけしの頭の付いた独楽の上に赤い帽子を被っている。顔、胴模様は、通常のこけしと同じもので、丸い目の眼点は少しずつ異なっていてそれぞれの表情を持っている。但し、独楽としては上手く回らず眺めて楽しむものになっているのが残念。

第843夜:「高勘古作」

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Kikue_kosaku先日、ヤフオクに鳴子系の古そうなこけしが出ていた。出品タイトルは「鳴子不明」で、コメントにも特段の記載はなく、詳細は不明であった。胴模様は殆ど飛んでいて写真からは分からず、面描から「高勘」系のこけしであろうと推測した。このような黒いこけしは一般のこけし愛好家からは敬遠されたであろうが、やはり好きな方は居るようで二人だけでの結構な競り合いになってしまった。落札後、出品者が「ひやね」さんであることが分かりびっくり。「ひやね」ではお店や「往来」での入札会をやっており、良いものは当然そちらに回るはずだからである。今回のこけしは、あまりに黒くなっているためにヤフオクに出したのであろうか。口絵写真は、その黒こけし(以下「高勘古作」)の表情である。

今回、頑張って入手したのは私が収集に力を入れている「高勘」系のこけしであることと、その木地形態の美しさに惚れたからである。ぜひとも手元で眺めその素性を調べるのが大きな目的であった。一応、戦前の作ということで見て行くことにしよう。先ず目につくのは、角張った平頭である。また反りの大きな胴は正末昭初の勘治一家のこけしを思わせる。但し、正末昭初の勘治一家のこけしに平頭は見つからない。戦前こけしの中心となる「盛」のこけしで考えれば、平頭は昭和7年頃の「木形子洞頒布」時のみである。但し、この頃の平頭はもう少し丸みがあるようだ。そこで文献を調べていくと、「古計志加々美」の278番が角ばった平頭であることが分かった。

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写真(2)は右が「古計志加々美」278番(6寸5分)で左が本項の高勘古作(6寸)。ともに角張った平頭であるが、本項のこけしの頭の方がより雄大である。但し、「古計志加々美」では、278番は描彩は盛であるが木地は不明となっている。なお、「木の花」では「木形子洞頒布」頃の木地は盛雄ではないかと指摘されている。

次に特徴的なのは面描である。振り分けた前髪は大きく、それに接するように鬢が雄大に描かれている。鬢は細筆で一筆ずつ描いたのではなく、平筆でばっさり描かれている。これも大正期から使われている古い描法である。また、鬢の上に赤い鬢飾りは無い。

そして、顔の中央より下に描かれた一筆目である。目が下にあるため眉との間隔が広く、また眉目は鬢側に離れて描かれている。盛の面描では、目鼻は中央に寄って描かれており、それが集中度の高い張りのある表情を生み出している。この高勘古作の面描はそれとは正反対である。何とも優しい雅な表情なのである。そこから、このこけしは女性の筆になるものではないかと考えるに至った。

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そこで、戦前の高勘の女性描彩者である「きくゑ」を考えて見た。写真(3)は右が高勘古作で左がきくゑのこけし(5寸8分、昭和10年頃)。きくゑの場合、木地は当然別人であるから、ここではその雰囲気を味わって頂きたい。高勘古作の胴模様は殆ど消えかかっているが、左のきくゑと同じような楓模様が描かれている。

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写真(4)は、(3)のこけしの頭頂部の比較。鬢に接して描かれる大きな振り分けの前髪の描法など、良く似ていると言えないだろうか。

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写真(5)は、(3)のこけしの面描アップ。大きな鬢(左は細筆、右は平筆の違いはあるが)、大きめの丸鼻なども類似性を感じる。また、「こけし辞典」に掲載されているきくゑのこけしは一筆目ではないが、眉目がかなり離れた下目になっている。残念ながら、きくゑの一筆目のこけしを見たことがないため、これ以上の推測は難しい。

きくゑは大正5年に盛と結婚し盛こけしの描彩を手伝ったという。本項の高勘古作はそんなきくゑが正末昭初に描いたこけしなのではないだろうか。そんな思いを抱かせるこけしであった。

第844夜:友の会7月例会(H25年)

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1307reikai_eiji今日(28日)は東京こけし友の会の7月例会があったので、今夜はその報告である。連日の暑さの中、今月も新入会3名(1名は名古屋から)を含め、83名の出席者があった。おみやげこけしは木地山系小椋英二さんのこけし。最近精力的に作っているとは言え、下半身が不自由なお身体で、こんな小さなこけしを作ってくれたことに感謝したい。友の会のおみやげこけしに貴重な1本が追加された。例会ギャラリー、頒布、抽選/入札と続き、第2部は、山形県こけし会総会、とげ抜き地蔵尊での陳野原幸紀、阿部国敏工人の実演などのイベントがスライドで報告された。口絵写真は、小椋英二工人のおみやげこけし。

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写真(2)は英二さんのおみやげこけし4種。左2本は留三型、右2本は久太郎(久四郎)型。

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写真(3)は新品頒布こけし。左から佐藤忠雄(南部系)、沼倉孝彦(木地山系)、志田菊宏(蔵王系)、陳野原幸紀(土湯系)、吉田勝範(鳴子系)、田山和泉2種(南部系)。

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写真(4)は西山敏彦の子こけし入り果物。下段2個はスイカ、中段2個はメロン。

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写真(5)はスイカの詳細。スイカの中に豆こけしが6本入っている。大人気でアッと言う間に売り切れた。

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写真(6)は入札こけし。後列左から、渡辺求、佐藤誠(S13頃)、河村守(H11.11.11)、佐藤正一(S38)。前列左から、間宮正男(戦前)、高橋武蔵(S17,8頃)、高橋忠蔵(71歳)、小椋泰一郎(戦前)、佐藤慶治のえじこ(S32)、佐藤善二(初期幸兵衛型)、柏倉勝郎(戦前)。

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写真(7)は抽選こけし。後列左から、大沼利春の甚四郎型、秋山一雄、大沼健伍の初期作、大沼利春の甚四郎型、井上ゆき子。中列左から、佐藤兼一、阿部平四郎の石蔵型2本、高橋美恵子、渡辺恒彦。前列左から、小松五平、瀬谷幸治、阿部平四郎、大森久幸(稀品)。

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写真(8)は野地忠男のこけし(抽選)。大寸ものは珍しい。

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写真(9)はスライドを使った例会ギャラリーの様子。

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写真(10)は例会ギャラリー用に展示された古作こけし。右から、岡崎久太郎、阿部治助、岩本善吉。治助の表情が通常の治助とやや異なるのが興味深かった。

第845夜:ヤフオクの古品入札

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Yahoku130728_yonekiti_kao先日(7/28締切)、ヤフオクで戦前から戦後直ぐの古品が20本余り出品されていた。出品は京都からであり、旧家からの出物かも知れない。それほど古いものは無かったが、それなりの価格になったので、ここで纏めて紹介したいと思う。出品数は20点で、内2点は戦後の普通のものなので、残りの18点の入札結果(落札価格順)と出品写真である。やはり、土湯や津軽のこけしに人気があることが覗われる。口絵写真は最高額で落札された佐久間米吉こけしの表情である。

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(1)佐久間米吉(19cm)土湯系 <中屋旧蔵> 201,000円

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(2)佐久間七郎(21.7cm)土湯系 <昭和16年> 152,000円

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(3)村井福太郎(37cm)津軽系 131,000円

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(4)照井音治(30.5cm)南部系 <昭和13年> 91,000円

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(5)小椋俊雄(24.5cm)木地山系 <小椋米吉名義> 73,000円

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(6)平賀謙蔵(23.2cm)作並系 54,500円

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(7)佐久間米吉(15.4cm)土湯系 52,000円

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(8)岩本芳蔵(24cm)土湯系 <昭和23年> 38,500円

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(9)宮本永吉(24.5cm)鳴子系 37,300円

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(10)高橋盛(31cm)鳴子系 <昭和27年頃> 32,500円

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(11)岸正男(36.5cm)鳴子系 <「馬」署名> 30,500円

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(12)新山福太郎(31.5cm)弥治郎系 <裾に割れあり> 20,700円

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(13)伊豆定雄(21.5cm)鳴子系 <昭和15年> 20,500円

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(14)毛利専蔵(15cm)津軽系 20,300円

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(15)白畑重治(18.5cm)雑系 15,000円

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(16)長谷川清一(30.8cm)鳴子系 12,300円

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(17)西山勝次(28.2cm)土湯系 9,500円

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(18)佐藤伝喜(26.5cm)弥治郎系 <昭和33年11月> 5,090円

第846夜:古型ロクロ続編4(恵介)

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Keisuke_rokuro_2010_kao津軽系盛秀型の古型ロクロは私の好きなこけしの1つで機会ある毎に求めているが、恵介さんの古型ロクロでこれまでと異なるものがヤフオクに出ていたので、頑張って入手した。ロクロ線だけの単純な模様であっても、表情など細部には違いがあり、それを比べて鑑賞するのも楽しいものである。口絵写真は、その恵介古型ロクロの表情である。

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写真(2)に、手元にある恵介古型ロクロ4種を並べて見た。左から2番目は第414夜で紹介したもので、2010.3/17作の十日月目。今回のこけし(右から2番目)は2010.11/14作のもので、左の3/17作と同様のものと思っていた。同じ十日月目であるが、今回の方が見開きが大きく豪快な表情なのが気に入った。ところで、こうして並べてみると、目以外にも異なる点が幾つかある。先ず、頬紅は右端のこけしと同様、下瞼から頬全体に塗られている。次に、胴のロクロ線である。これも右と同じく、赤、緑、紫の3色とも太線の上下に細線が引かれている。左の2本は赤のみ太線と細線の組み合わせがある。そして、頭頂部の中剃りは左2本は地の色のままであるが、右2本は赤で塗られている。但し、右端は中央の赤丸と黒髪の間に地色の隙間があるが、本項のこけしはそれがない。

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従って、古型ロクロも目の描法は別にして、様式的には左2本のようなものと右2本のようなものに分かれることが分かる。恵介さんのこけしはロー引きをしないため、三色のロクロ線が木地に馴染んで鮮やかである。特にロクロ線だけのこけしは日焼けや色飛びがしないように気を付けたい。


第847夜:「奥瀬恵介10年間の歩み」

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Morihide_syu4_keisuke_darum本ブログでもしばしば参照している「盛秀一家のこけし辞典」の第4集として「奥瀬恵介10年間の歩み」が発行された。2002年1月の恵介さんの試作品から2012年までの10年間にわたり、恵介さんの作品を月毎に掲載している(但し、一部抜けあり)。恵介さんの作品が年毎、月毎に分かり、10年間の推移を目の当たりにすることが出来る。他に、盛秀一家(盛秀太郎、美津雄、奥瀬鉄則、陽子、恵介)の置きダルマも各種掲載されている。発行部数は少数で一般販売はされない模様。口絵写真は、掲載されている恵介置きダルマである。

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写真(2)は「奥瀬恵介10年間の歩み」の表紙と裏表紙である。

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写真(3)は10年間の歩みの内の2002年と2012年である。

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写真(4)は、恵介のダルマ絵こけしである。

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写真(5)は、盛秀一家の置きダルマである。

ちょうど良い機会なので、所蔵の恵介こけしを取り出して、年別に並べて見た。試作時期の2002年作は、流石に含まれていなかった。また、2007年、2012年作も無かった。以下、年毎に掲載する。

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写真(5)、2003年作。後列右より7寸NO161(03.7.12)、中は8寸NO163(03.7.12)、左は8寸NO186(03.9.12)。前列右5寸NO164(03.9.20)、左5寸NO183(03.9.12)。

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写真(6)、2004年作。後列右より7寸NO418(04’8/2)、8寸NO344(04 5/24)、8寸NO262(04 1/17)、7寸NO451(04 8/18)、8寸NO576(04 11/3)、8寸NO371(04 6/10)、7寸NO385(04 6/28)。前列右より5寸NO382(04 6/27)、5寸NO440(04 8/16)、5寸NO558(04 10/25)、4寸NO586(04 11/11)、5寸NO613(04 12/8)、5寸NO379(04 6/27)。

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写真(7)、2005年作。右から7寸NO891(05 7/15)、7寸NO889(05 7/13)、8寸NO789(05 5/31)、6寸NO896(05 7/16)、8寸NO780(05 5/25)、7寸NO746(05 5/18)。

Keisuke_2006
写真(8)、2006年作。後列右から7寸NO1224(06 3/17)、8寸NO1222(06 3/18)、8寸NO1421(06 5/19)、8寸NO1420(06 5/19)。前列右4寸NO1264(06 4/7)、左4寸NO1261(06 4/7)。

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写真(9)、2008年作、NOの記載は無い。右から5寸(08 5/1)、6寸(08 5/1)、6寸(08 5/5)、6寸(08 1/15)。

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写真(10)、2009年作。後列右より6寸(09 9/29)、6寸(09 3/24)、8寸(09 2/8)、6寸(09 2/6)、4寸7分(09 2/1)。前列右から5寸(09 10/1)、6寸(09 4/4)、4寸5分(09 2/3)、3寸(09 2/13)。

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写真(11)、2010年作。右6寸(2010 11/19)、左6寸(10 3/17)。

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写真(12)、2011年作。5寸(2011 10/9)。

第848夜:「馬」の署名

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Masao_s14_kao今年は梅雨明けが早かったせいか夏が長い気がする。しかも暑い。ようやくお盆も過ぎたのだが、まだ暫くは酷暑が続くようだ。暑さにかまけて本ブログの更新も大分滞ってしまった。ところで、こけし関係の文献を読んでいると疑問に思うことが多々出てくる。それらを明らかにするのも本ブログの役割の1つと考えている。鳴子の岸正男は戦前、自分のこけしの胴底に「馬」と書いて署名の代わりにしたと言う。今回、この「馬」署名の正男こけしを入手したので紹介したいと思う。口絵写真は、その正男こけしの表情である。

岸正男は明治36年の生まれ。明治45年、10歳で万五郎家に入り雑用などを手伝ったという。正式な木地の弟子になったのは大正8年、17歳の時で、この頃にはこけしも作ったらしい。その後は、盆などの大物挽きの専門となった。こけしの復活は昭和13,4年頃で、深沢要、渡辺鴻両氏の勧めによると言う。当初は他人木地(主に秋山忠)への描彩が中心で、戦前作はあまり多く無いようである。第339夜に戦後早い時期の正男こけしを紹介しているが、以来戦前作を探してきて、ようやく手元で見ることができるようになった訳である。

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写真(2)に全体像を示す。右端は同時期の秋山忠(尺)。大きさは尺2寸、堂々たるこけしである。頭頂部が扁平な角張った蕪頭に肩の山の高い太目の胴。胴上下のロクロ線は、外から内に向かって赤、緑、紫の3色で引かれており、胴下部には太い鉋溝が1本掘られている。この胴の様式は秋山忠と全く同じであり、忠木地と思われる。但し、頭の形は忠とはやや違うようだ。忠が正男用に挽いたのであろうか?

正男こけしのもう1つの特徴は、万五郎(金太郎)系列の特徴である「茎の多い菊を描く」ということであるが、これも本稿のこけしで一目瞭然である。胴下部には赤い土が二山描かれ、そこから5本の茎が伸びている。そのうち両側の2本は蕾をつけ、中央の大きな正面菊を挟んで、残る3本の茎は上部に伸び、中央の1本が大きな横菊を咲かせている。その茎には、丸い葉っぱが正面菊を囲むように一面に散らされている。鳴子の他の系列の菊模様とは一味違った何とも心憎い様式である。

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では「馬」の署名を紹介しよう。写真(3)左がそれである。右は秋山忠。胴底の中央に、緑の染料で大きく「馬」と書かれている。他の「馬」署名を見たことがないので何とも言えないが、今までは当然のように黒墨で書かれているものと思っていた。これなども、現物を見て初めて分かることで、やはり現物を見ることの大切さを痛感させられた。

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写真(4)は頭頂部の水引である。左が正男、右が同時期の秋山忠。忠とは明らかに違うし、他に類例を見かけない様式である。これが、万五郎系列の特徴なのであろうか?また、新しい疑問が湧いてきてしまった…。

第849夜:親子のこけし(佳隆・美恵子)

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Mieko_kin_kao本ブログは1本のこけしを中心に話を進めていくことが多いので、新たにこけしを入手した場合にはその話を書くことが出来るが、暫くそういう機会がないと更新も滞ってしまう。時々は段ボール箱に仕舞込んであるこけしを取り出して何か話題を探す。今回見つけたのは、土湯系の高橋美恵子さんのこけし。美恵子さんは製作量が少なく、私も手持ちが殆ど無いため取り上げていなかった。そこで今回はお父さんの佳隆さんのこけしとペアで紹介したいと思う。口絵写真は美恵子こけしの表情。

試しに、インターネット検索で「高橋美恵子」を探して見たが、全く見つからなかった。これは、ぜひとも掲載して紹介しなくてはと思った次第である。

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写真(2)の左は佳隆さんの7寸。東京こけし友の会創立30周年記念こけしである。詳細は第142夜で紹介しているが、きん古作の復元作である。今回の美恵子作は、大きさが同じ7寸で胴模様も同じ菊なので「親子こけし」とした。佳隆作はきんのこけしを元にした写しであるが、美恵子作も同じきん写しかどうかははっきりしない。角張った頭の形、直線的な胴の形など佳隆作とはやや異なる。面描にしろ胴の描彩にしろ、様式は同じであるが、筆使いなどは全く異なる。佳隆さんは硬筆であるが、美恵子さんは更にきっちり描いており、きんの柔かで自由な筆使いによる味わいとは別種の趣である。きんのこけしを元にして作ったこけしでも、出来上がったこけしには工人の個性が表れているのである。良いとか悪いとか、上手いとか下手とか、そういう判断ではなく、それぞれのこけしの味わいを楽しみたいものである。

ところで、美恵子さんについて調べてみた。こけし手帖285号(S59年12月)の「10月例会頒布こけし」が文献での初紹介のようだ。それによると『昭和33年12月28日生、高橋佳隆次女。(通さんの妹) 昭和56年より描彩を、昭和57年春頃より木地を父佳隆について修業、58年友の会正月例会で頒布した。』とある。但し、こけし手帖の正月頒布こけしには写真紹介がなく、正月頒布品がどのようなものかは分からない。その後は手帖306号(S61年9月号)の「7月例会頒布こけし」に6寸が紹介されている。

第850夜:友の会創立60周年記念会

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130825kinenkai_ribon今日は、東京こけし友の会創立60周年記念祝賀会が「ホテル椿山荘東京」で開催されたので、その報告である。朝からの雨模様の天候で連日の酷暑が和らいだ中、遠くは秋田からの方も含め109名の方々が集まった。会場受付では、式次第の資料とともに2寸の豆こけしが付いたリボンの名札と、今晃の小寸こけしがおみやげとして手渡された。祝賀会は13時から始まり、第1部(式典)、第2部(懇親会)というスケジュールであった。工人の参加は来賓を含めて、岡崎幾雄さん、陳野原幸紀さん、菅原和平さん、佐藤一夫さん、大沼秀雄さんの5名。第1部では来賓の挨拶が中心で、第2部は乾杯からスタートした懇親会。最後は工人等からの寄贈こけしを巡るジャンケン大会で大いに盛り上がった。名残惜しい雰囲気の中、16時にすべての行事を無事に終了。口絵写真はリボンこけしで西山敏彦さんのもの。(他に、長谷川優志さん、佐藤康広さんのものがあった)

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先ずは、会場の受付。参加者に渡す黄色いリボン(豆こけし付き)が並んでいる。

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参加者が集まる前の会場正面の舞台と横断幕。

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会長の挨拶。後方にジャンケン大会用の寄贈こけしが見える。

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会員代表として挨拶する岡崎幾雄さん。18歳で会に入り、今や最古参の会員である。

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工人代表として挨拶する陳野原幸紀さん。今回の目玉の特大こけしについても語られた。

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式典が始まる前の会場風景。多くの方が写真撮影に興じている。

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懇親会での会場風景。左手の料理に並んだり、懇親に努めたり。

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いよいよ、ジャンケン大会が始まる。先ずは寄贈こけしの紹介。陳野原さんは、60周年記念ということで、60cmの特大こけし2本を作ってくれた。

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勘治型こけし。左から柿澤是隆さん、高橋義一さん、柿澤是伸さんの原寸こけし。

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栄治郎型こけし。左から岡崎幾雄さん、田中恵治さんの原寸こけし。

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ジャンケン大会中の会場風景。寄贈こけしを目指して、グー、チョキ、パーで勝負!

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ジャンケン大会を勝ち抜いて、見事に陳野原さんの特大こけしをゲット! おめでとうございます。

第851夜:美恵子さんの初作周辺のこけし

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Mieko_syoki_kao第849夜で、高橋美恵子さんのキン型こけしを紹介したところ、その初挽き独楽(57年12月13日作)についてコメントを頂いた。美恵子さんは昭和57年から自挽き描彩のこけしを作成していたようであったが、今一つはっきりしなかった。手元に胴底に日付を記入した美恵子こけしがあり、初作周辺のこけしらしいと思っていたので、今夜はそれを紹介したいと思う。口絵写真は「初作」と記入された美恵子こけしの表情である。

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写真(2)(3)に美恵子さんの初作周辺のこけしと胴底の署名を示す。右から、2寸4分(初作、十八日、美恵子」、3寸4分(十二月十九日、美恵子)、2寸8分(十二月二十四日、美恵子)。この底の署名通りとすれば、美恵子さんの初作は昭和57年12月18日で、それが右端のこけし。真ん中のこけしが、その翌日作。左端は5日後のこけしということになり、初作から一週間以内の3本ということになる。独楽の初作が12月13日であり、それから5日後にこけしの初作が作られたということだろう。

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写真(4)には翌58年のこけしも示す。右から3本は写真(2)のこけしで、4本目は4寸(58.1.22)、5本目は4寸9分(58.4 原の町)、左端は5寸(58.10.16 日野)。いずれも作り付である。初作は、また眉・目・鼻の描線がぎこちないが、日が経つにつれて手慣れていくのが見てとれる。最初は赤・黄・緑のロクロ線だけだった胴模様も、10か月後には花模様を描くまでに上達している。

第852夜:久太郎追求

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Kyutaro_s8_kaoある特定の工人の作を年代順に集めるのは楽しいことである。特に製作歴が長く、作風の変化がある工人の場合は尚更である。そうような集め方では、その工人の地点、地点の代表作は是非揃えたいものである。そんな工人の一人に木地山系の小椋久太郎が居る。久太郎は大正時代から製作を始め、平成10年91歳で亡くなるまで果断なくこけしを作り続けた。私が久太郎こけしを本格的に集めはじめたのは、ここ5年ほどである。その間のことは第244夜以降、本ブログでも度々紹介してきた。久太郎こけしとしての最終目標は久四郎模索時代の作であったが、なかなか出会うことがなかった。先週のヤフオクで、ようやくそれと思しき作を入手することが出来た紹介したい。口絵写真は、そのこけしの表情である。

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写真(2)がその久太郎こけしである。大きさは8寸。胴底には「木地山 小椋久太郎」と言う書込みと「こけし精舎」のラベルが貼ってあり、綾秀郎氏の旧蔵品であろうか。らっきょう形の頭にすらりとした胴。前髪と繋がった鬢は大きく長く、目・鼻は顔の中央部に集まっており、円らな瞳が無心にこちらを見つめている。強い視線では無いが惹きつけれるような目力がある。胴の縞模様は一気に描かれ、中央部の赤い横線が太く滲んで強烈な印象を与える。胴下部の梅鉢模様も大きくさらさらと自然体で描かれている。文献で、久四郎模索時代の久太郎こけしを探してみたが、意外と該当するものが少ない。「原郷のこけし群(第一集)」の59番の久太郎がほぼ同様の作と思われる。制作年代は記載されていないが、昭和8年前後と思われる。

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写真(3)に、これまで集めた久太郎こけしを並べて見た。右端が本項のこけし、真ん中4本が「だんご梅」の久太郎各種(右から左へ新しくなる)、そして左端が昭和34年の久四郎復元作。ちょうど両端が久四郎に近い作風ということになる。しかし、あまり意識せずに作った右端と、復元という形で意識的に作った左端のこけしとでは、しかも戦前と戦後という時代背景の激変があれば、作られるこけしが醸し出す雰囲気に違いがあるのは当然のことなのであろう。

第853夜:幸治さんの近作

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Koji_kinsaku_kao昨日、青葉こけし会のブログを見ていたら、瀬谷幸治さんのこけしが紹介されていた。幸治さんは体調不良で長いことこけし製作を中断しており、頒布は久しぶりとのこと。昨年中頃より愛好家の助力を得て少しずつではあるが、こけしを作り始めていると聞いていた。私も、縁あって昨年来、数本のこけしを手にすることが出来たが、今回の青葉の頒布こけしはそれらとは別の型のものであり、色々な種類のこけしを作っていることが分かった。そこで手元の近作を紹介したいと思う。口絵写真は近作の表情。

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写真(2)が、昨年来の近作である。右端は4寸8分。平成24年8月作。復活間もない頃の作と思われる。右から2本目と3本目は今年の名古屋こけし会の頒布品。右から2本目は8寸3分、同3本目は5寸9分、いずれも善吉型である。左から2本目は5寸9分、芳蔵の戦前の本人型である。この4本、型、描彩はそれぞれ異なるものの、目の描き方は殆ど同じであり、表情は何か虚ろでもある。左端は昭和54年の芳蔵本人型。左から2本目と同型のこけしであるが、表情には大きな違いが見られる。こけしを作り始めたとは言え、自分の意志はまだまだ希薄なようであり、昔のような味わいの復活までは時間がかかりそうである。静かに見守っていきたいものである。


第854夜:瀬谷重治のギボシ

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Jyuji_giboshi_kao前回の幸治さんに続いて、今夜はお父さんの重治さんに登場願おう。「ギボシ」と聞いて、それが何なのか直ぐに分かる人は少ないのではないか。私も分からず調べてみた。「ギボシ」とパソコンに打ち込んで、かな漢字変換をすると「擬宝珠」と変換される。この「擬宝珠」とは「伝統的な建築物の装飾でや神社、寺院の階段、廻縁の高欄(手すり、欄干)の柱の上に設けられている飾りである。」とある。ちなみに「五重塔五輪塔などの仏塔の先端に飾られるもので、これは擬宝珠ではなく宝珠である。」ともある。「宝珠」は「意のままに様々な願いをかなえる宝」とあり、こけしの胴模様に描かれることもある。口絵写真は、その「ギボシ」の表情である。

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写真(2)が「擬宝珠」である。

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写真(3)、(4)が重治作ギボシの全体像。この「ギボシ」は「擬宝珠」の形態に倣って木地を挽き、それに小寸の善吉風の描彩を施したものなのであろう。本こけしは東京こけし友の会の平成6年7月の例会で頒布されたもので、「原」があるという。一般のこけしとは異なり木地玩具の類に入るものであろうが、これはこれでなかなか面白いものである。この「原」はどういう理由で作られたのか、知りたいものである。

第855夜:佐藤末吉のこけし

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Suekiti_senzen_kao先日のヤフオク入札で、佐藤末吉の戦前作を入手することができた。末吉は鳴子系と南部系の混血したようなこけしを作ったが、あまり語られることは無く、「こけし辞典」での解説も少ない。私は以前から注目していたのだが、その戦前のこけしと出会うことは少なく、従って、そのこけしを手元でじっくり鑑賞することも出来なかった。数年前に、その戦後作を手にすることが出来たが、今回その戦前作が来たことにより、その変化を比較することも可能となった。今夜は、その末吉のこけしを紹介したい思う。口絵写真は、その戦前作の表情である。

「こけし辞典」で末吉の経歴をおさらいしておこう。佐藤末吉は明治38年花巻町東町(現花巻市)の生まれ。大正8年頃、伊藤松三郎(姉の夫)の弟子となり木地修業を始める。従って、末吉は松三郎の義弟ということになる。その後、松三郎に従って、北海道、鳴子に行き、徴兵検査で花巻に帰郷して開業した。

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写真(2)は、右が本項のこけし(7寸)で左は戦後間もない頃のこけし(8寸)である。胴がくびれて帯を締めた煤孫家のキナキナの木地形態である。花巻という土地柄からこのような形態のこけしを作ったのであろう。但し、両方とも頭はしっかり胴に嵌め込んであり、キナキナのようにクラクラ動かない。末吉のこけしが数多く載っている「愛玩鼓楽」を見てみると、No765(S15年)が同型のこけしである。ただ表情はNo763(S13年頃)に近い。特に左目の上がった面描は松三郎の表情とよく似ている。従って、制作時期は昭和14年頃ではないだろうか。左のこけしは昭和20年代のものと思われるが、木地形態は戦前作と殆ど変らない。一方で表情の変化には驚かされる。戦前作は、前髪、鬢とも顔の上方に寄り、大らかな筆使いで可憐でおぼこい乙女の顔を描いているが、戦後作では面描が中央に寄り、きっちりした筆でチマチマとした表情になっている。戦後の新型こけしの影響も見受けられる。また、正面から見ると殆ど同じように見える胴の菊模様も、戦前作では両脇に蕾が描かれているが、戦後作では無くなっている。このような胴模様の簡略化と様式化は他の鳴子系工人にも見られる現象であり、多作による効率化の一環と思われるが残念なことである。

第856夜:福寿の達磨(2)

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Fukujyu_daruma_s58遊佐福寿さんの達磨については第429夜で紹介したが、その時点では曖昧だったことがその後はっきりしたり、また描彩の異なる福寿達磨も手に入ったので、改めて紹介したいと思う。先ず、429夜では、盛さんの達磨は不明であったが、これはその後判明し、第494夜で紹介した。また、昭和30年代の福寿達磨も存在し、これは「こけし 美と系譜」25頁に掲載されている。口絵写真は最近入手した福寿達磨である。

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写真(2)は左が盛さんの達磨(高さ11cm、昭和30年代)で、右が今回入手した福寿達磨(高さ14.5cm)。ご覧のように形態は頭頂部の丸み、胴下部の膨らみがやや異なるが、非常に良く似ている。描彩も鼻下の髭の形は異なるが、ほぼ同様と言える。ただ福寿達磨は胴中央下部に宝珠を描いている。

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写真(3)が昭和30年代の福寿達磨。「ひやね」の店頭にあるものを撮らせてもらった。鼻下の髭は写真(2)右の福寿達磨と同じ。

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写真(4)は手元にある福寿達磨各種である。盛さんの達磨からの伝承を考えると、写真(3)の昭和30年代の達磨から写真(4)の右3体の達磨へ変化していったと思われる。その中では左端の達磨が形態・描彩ともやや異色である。

第857夜:友の会9月例会(H25年)

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1309reikai_shinkiti咋22日は東京こけし友の会の9月例会があり、出席したのでその報告である。今月もTV局の取材が入り、こけしに対するマスコミの関心が高まっているのが感じられる。出席者は新入会の女性1名を含めて今月も80名を越えた。おみやげこけしは出雲の松谷伸吉さん。新品頒布こけしは、山谷レイさん、西山敏彦さんのえじこ、梅木直美さん、野地三起子さん、石井信明さん、太田孝淳さん、小椋英二さん。第一部は入札、抽選を含む中古こけしの頒布。こけし界ニュースを挟んで、第2部は「こけし物語」のDVD放映、創立60周年記念会、鳴子の全国こけし祭りのスライド、田中幹事による拡大ギャラリー(佐藤保裕のこけし)と続き、最後に「奥瀬恵介10年間の歩み」3冊をジャンケン大会で配布して終了した。口絵写真は伸吉さんのおみやげこけし。

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写真(2)はおみやげこけし各種。目が一側目と一筆目の2種。顔も正面を向いたものと上を向いたものの2種、それに胴模様も数種あり、全部で十数種のこけしがあった。

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写真(3)は新品こけし。右から山谷レイさん、西山敏彦さんの子持ちエジコ各種、梅木直美さんのナデヒコ模様。

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写真(4)も新品こけし。右は石井信明さんの粂松型、左は太田孝淳さんの帽子こけしとエジコ。

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写真(5)は西山さんのエジコ各種で、今回のテーマは「秋」。毎回テーマにちなんだ新工夫の子持ちエジコが頒布され、あっと言う間に完売になってしまう。
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写真(6)も新品頒布こけし。野地三起子さんのこけし各種。

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写真(7)は小椋英二さんの新品こけし。

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写真(8)は一般頒布の中古こけし。保存状態の良いものが多かった。

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写真(9)は抽選こけし。左から今晃(嶽以前)、高橋正吾、今晃、井上ゆき子、今晃、佐藤英太郎の髷、高橋正吾の雄四郎型、高橋通、大沼俊春の甚四郎型、荒川洋一、井上はる美、二代目虎吉。荒川さんのこけしは初期のもので、師匠芳蔵の当時のものをそのまま写しており、保存も完璧であった。

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写真(10)は入札こけし。後列左から、奥瀬鉄則2本、毛利専蔵の多兵衛型、小林善作2本、斎藤弘道、佐藤正一。前列左から、佐藤文吉、今晃2本(嶽以前)、佐藤春二、大沼君子、二代目虎吉の初代虎吉写し。全て戦後のものであったが、保存状態は極美のものが多く、落札価も鉄則の1本(左から2本目)を除いて1万円以下であった。戦後の良いものが安価で入手できたものと思う。

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写真(11)は第二部のスライド風景。

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写真(12)は第二部の拡大ギャラリー。佐藤保裕のこけしを初期のものから最新作まで並べて、その推移が解説された。

第858夜:新兵衛こけしの継承者達

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Kimiko_syoki_kao先日の友の会入札で、大沼君子のこけしを入手した。君子のこけしは中古品としてはそれほど珍しいものではないが、なかなか気に入ったものに出会わず、手元にあるものも数少ない。今回のこけしは父である新兵衛の俤を良く残しており、君子としては初期のものなのであろう。今夜は、その君子のこけしと共に新兵衛こけしを継承している工人のこけしを並べて比べてみようと思う。口絵写真は、その君子こけしの表情である。

大沼君子は大正4年、鳴子の生まれ。大沼新兵衛の長女である。昭和32年に新兵衛が72歳で没してから、こけしの描彩を始めた。木地は自身では挽かず別人であり、木地の形により、こけしの雰囲気はやや異なる。

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写真(2)に新兵衛こけしとその継承者達のこけしを並べてみた。左から新兵衛62歳(昭和22年、7寸)、同68歳(昭和27年、8寸)、君子(昭和33年頃、6寸)、同(平成元年、5寸)、土谷幸作(昭和58年、7寸)、山口収一(平成7年、5寸8分)。新兵衛が亡くなったのが昭和32年10月なので、君子のこけしはそれ以降であり、「こけし辞典」には33年10月作が載っている。32年作があるのかどうかは分からない。新兵衛こけしの胴模様は菱菊が中心で、上部の横菊は中央の花弁が長く立っているのが特徴であるが、君子、幸作、収一と伝わるに従って目立たなくなってくる。また下部の正面菊は下向き中央の花弁が向かって左に流れるように描かれのだが、これも君子は踏襲しているものの、幸作、収一では真っ直ぐ下に伸びており、一般的な菱菊模様になっている。

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写真(3)に写真(2)の各こけしの顔のみ並べて見た。新兵衛のこけしと言うと「一筆目」が有名になっているが、写真(3)を見ると「一筆目」ではなく「一側目」であることが分かると思う。晩年の新兵衛作としては31年作が「愛こけし」に載っており、これは写真で見る限り一筆目になっているようだ。君子は最晩年の新兵衛こけしを手本にして描彩を始めたものと思われ、最初から一筆目である。

なお、土谷幸作は新兵衛が山形県楯岡で働いていた時期(昭和23,4年)の弟子で、山口収一は土谷幸作の弟子である。幸作も収一も「一筆目」のこけしであり、新兵衛こけしと言えば一筆目が定着していたのが覗える。

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写真(4)は頭頂部を見たところ。前髪後部の山形とそこから後ろに束ねた2本の後髪に注目して頂きたい。左端の新兵衛では山形が大きくこんもりと盛り上がっており、そこからほぼ同じ大きさの後髪2本が紡錘形に交差している。2番目になると山形はやや小振りとなり、2本の後髪は向かって左側の1本が小さくなる。3本目の君子は2本目と同様な様式であるが、4本目の君子では山形が更に小さくなり、後髪も左の1本が丸まって一段と小さくなり1本のように見える。幸作では山形が微かに残っているが、収一になると山形は完全に消えてしまった。同じ新兵衛型を継承していても時代と共に、また作る工人によって変化していくものであり、新兵衛の俤は一筆目に残るのみとなってしまった。その継承者である大正生まれの君子、幸作、収一は既にこけしを作っておらず、現在では幸作の弟子の海老名一郎が作るのみである。

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