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Channel: こけし千夜一夜物語
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第822夜:古品の一群

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Kohin11_h2503get_togatta古い収集家の手記を読むと、素晴らしい古品を纏めて入手したという夢のような話に出くわすことがある。それらは概ね戦後間もない頃の事で、今では願うべくもない。しかしインターネットが普及したお蔭で、全国の古物商が旧家の解体などで出てきたこけしをネットオークションに出品することがある。それらのこけしは単体で出ることもあれば、纏めて出品されることもある。有名な古品は単体で出ることが多く、よく分からないものは纏めて出るようだ。この纏めて出るものには結構面白いものも含まれていることがあり、私も過去に何回か入手している。先月、そのようなこけしを纏めて入手したので紹介したい。口絵写真は、遠刈田系のこけしの表情である。

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写真(2)はその全体像。全部で11本である。同一出品者からは別に11本の古品が出品されており、古物商が纏めて入手し出品したものと思われる。入手したこけしには署名はなく、また作者名や制作(入手)時期を示すような書き込みも見られないことから、こけしの著名なコレクターが集めたものではないだろう。色は飛んでいないものの古色がかなり付いており、全体的には錆びた印象を受ける。こけしの制作時期は昭和10年代の後半から20年代にかけてではなかろうか。直ぐそれと分かる盛秀の古品が入っていたため、価格はそれなりに高くなった。

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写真(3)は大寸もの5本である。左から作者不明8寸(山形系か、胴底に岩城人形店の印が押されている)、盛秀太郎6寸3分、作者不明7寸(遠刈田系、¥35.0の押印あり)、高橋武男5寸2分、高橋武蔵7寸1分。なお、武男と武蔵の判別法については次回解説したい。

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写真(4)は小寸もの6本である。左から阿部常吉4寸2分(¥8.00の押印あり)、作者不明3寸4分(写真(3)の左端と同一作者か)、石山三四郎4寸3分、同3寸1分、弥治郎系作者不明2寸4分、高橋忠蔵2寸。


第823夜:戦前の武蔵と武男

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Takeot_s16_kao_2昨夜紹介した古品の中には、高亀系と思われるこけしが2本含まれていた。1本(大きい方)は、その表情から高橋武蔵と思われたが、もう1本(小さい方)は、武蔵とは表情が少し違うように感じられた。戦前の高亀では、武蔵の他に、長男の武男と三男の直次もこけしを作っており、その可能性も考えられた。直次は昭和15,6年の一時期しか作っておらず昭和19年には亡くなっているため、そのこけしは古品として各種文献にも掲載されているが、武男は昭和13年から21年まで軍隊に行っていたため制作数が少ないこともあってか、文献では「古計志加々美」に載っている程度である。ところで、今回この2本のこけしを並べて眺めている内に、あることに気が付いたのである。今夜はその話をしたいと思う。口絵写真は戦前武男こけしの表情である。

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写真(2)が昨夜紹介した戦前の高亀系こけし2本。右は武蔵で間違いないであろう。左は武蔵とは表情が明らかに異なる。文献などで見る直次とも異なるため、武男ではないかと考えた。そこで、表情以外に武蔵との相違点を探したところ、頭頂部の赤い水引の様式が違うように思えた。左の武男は、後ろに流れる2筆の赤い水引が左右とも紡錘状の後髪と平行に描かれていて、交差していないのである。一方、右の武蔵は水引が後髪から放射状に描かれていて、後髪と交差しているのである。

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この特徴が他の時期の両者のこけしにも見られるかどうか調べてみた。写真(3)は左3本が武男で、左から昭和30年代、20年代、戦前。右3本が武蔵で、右から昭和30年代、昭和10年代前半、10年代後半である。

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それぞれの頭頂部を写真(4)に示す。左3本の武男こけしでは戦前~戦後を通して、後方への水引が後髪と平行という様式が確認された。また、右の武蔵こけしについても後方への水引と後髪の交差が見られる。伝統に厳格な高亀にあっても、このような個々の特徴は保たれたのであろう。この特徴は戦前の武男こけしの判別法として有効ではないかと思われる。

さて、ここで気になるのが第26夜で紹介した高亀系こけしである。正吾さんに鑑定して貰い一応武蔵作で落ち着いたが、その若々しい表情と重ね菊の様式などから、私は密かに武男作ではないかと思っていた。

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そこで、頭頂部を比較したのが写真(5)である。左が昭和20年代、右が今回のこけし、そして中央が第26夜のこけし。中央のこけしは水引が後髪に接しているものの平行に描かれており、武蔵というよりは武男と考えた方が自然であろう。

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写真(6)は写真(5)の3本を正面から写したもの。頭頂部の様式の他、中央のこけしと左のこけしでは重ね菊の描法も良く似ている。なお、中央のこけしは紀元2600年(昭和15年作)であり、この時期、武男は兵役に就いているのであるが、「古計志加々美」掲載品は昭和15年作となっており、休暇で戻ってきた折に作ったものと思われる。

なお、正吾さんの初期の作(昭和20年代から30年代前半)では、この水引の様式が武男と同じく平行になっている。当初、武男に描彩を習ったものであろうか。その後、正吾さんの水引は武蔵型に変わっていくのである。

第824夜:福寿のエジコ(造幣局の桜)

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Fukujyu_ejiko_kao16日から17日まで、関西に花見ツアーに行って来た。関東ではとっくの昔に桜は終わってしまい、こんな時期に桜はあるのかと思ったが、有名な大阪造幣局の通り抜けが16日から開催ということで、このようなツアースケジュールになったらしい。午前中は京都の遅咲きで有名な仁和寺の御室桜を見に行ったが、案の定すっかり青葉に変わっていた。夕方近く、造幣局に着く。平日なのに大変な人出。一方通行の通りの両側には各種の桜が植えられている。一番の見頃という触れ込みであったが、既に散っている桜もあり、今年の早咲きには造幣局の担当者も予想がずれたのであろう。さて、本題は遊佐福寿さんのエジコである。エジコは木地玩具類に入り、こけしとは区別して扱われるために伝統の縛りも少なく、各工人が色々と工夫して面白いものを作っている。口絵写真は福寿さんのエジコ(大正型)の表情、眉は薄墨で描かれている。

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写真(2)は福寿さんの各種エジコ。後列左から、大正型(径13cm、高13cm)S53年蓋形、普通型(径13cm、高15cm)S44年蓋形、普通型(径10cm、高10.5cm)S57年蓋形、前列左から、勘治型(径9cm、高9.5cm)H1年蓋形、勘治型(径10cm、10cm)S50年代前半蓋形、黒頭(径5.5cm、高6cm)S32年、勘治型(径10cm、高11cm)S51年蓋形、橘勘治型(径9cm、高10cm)蓋形、最前列中央は勘治型(径7.5cm、高8.5cm)S30年代中頃。

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写真(3)は昭和30年代のエジコ。この時期のエジコは普通の形(蓋形ではない)で、胴にザラ挽きも入っていない。左は胴底に「木偶坊」のシールと「32.5」の書込みがあり、頭は黒頭で顔は上向き、眉と横鬢は薄墨で描かれている。胴の菊模様は前面の1個のみで肩の山の菊は前後に2個描かれている。右のエジコも形態と胴、肩の山の菊模様は左と同じ、勘治型としては初期のものと思われる。

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写真(4)は勘治型のエジコ。左端は写真(3)の右と同一。左から2番目と右端は肩の山に襟が描かれている。右から2番目はエジコに良く見られる、顔を上向きに描いたものである。

以下は、大阪造幣局の桜である。

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第825夜:福寿のねまりこ(吉野の桜)

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Fukujyu_nemari_kao太閤秀吉の花見でも有名な「吉野の桜]は、吉野山を下から下千本、中千本、上千本、奥千本と桜の名所が高度を上げながら連なっている。その高度差(200m~700m)により桜の咲く時期に差があり、かなりの長期間、桜が楽しめる名所になっている。今年は開花が早く、下、中、上の桜は既に終わっており、奥まで行けば何とか見られるのではないかという状況であった。観光バスの終点である下千本に着くと、案の定、桜は既に若葉になっており、そこから上千本に至る参道から眺める桜も葉桜になっていた。観光バス駐車場から30分ほど登った竹林院からは奥千本行きの専用マイクロバスが出ており、長蛇の列を並んでようやくバスに乗れた。バスの終点から桜のある西行庵までは更に20分ほどの山道を登ることになる。ここでようやく名残のような山桜に出会うことが出来た。さて、今夜の話は福寿さんのねまりこである。ねまりこは鳴子系に特有の木地玩具であり、昨夜のエジコほどの多様性は見られない。口絵写真は、勘治型ねまりこの表情である。

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写真(2)に福寿さんのねまりこを示す。後列左から、勘治型(15.5cm)S48年、勘治型(15cm)S51年、盛古型(15cm)S53年、大正型(14.5cm)S50年代前半、前列左から、普通型(8cm)S40年代後半、勘治型(10.5cm)S51年、普通型(11cm)S50年代、盛作(11cm)S30年代後半。

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写真(3)は、左は盛作、右は福寿作。肩の山の低い木地形態、眼点の小さな一側目など、福寿さんが盛ねまりこを忠実に写していることが分かる。

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写真(4)は、勘治型のねまりこ2種。左は昭和40年代の作で、肩が角ばっていることが分かる。右は50年代に入ってからの作で、肩は丸くなっている。「高勘」の当主である盛雄さんは勘治型の制作に厳しい制限を付け、弟子筋の工人が勘治型を作るのを許さなかった。その姿勢は実弟である福寿さんに対しても同様であり、勘治型のねまりこは勘治も盛も作っていないのだからと、福寿さんの制作に対しても異を唱えたと言う。そのためもあって、福寿さんの勘治型ねまりこは昭和40年代の末から50年代の初めの頃に作られたものが殆どである。

以下、吉野「奥千本」の桜を紹介したい。西行が庵を結んだという西行庵付近の桜である。山桜であるために、溢れんばかりの桜という雰囲気ではなく、山奥にひっそりと咲いた桜という感じである。

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第826夜:勘治型ねまりこ

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Takishima_nemari_kanji昨夜は福寿さんのねまりこの話をしたが、今夜はその延長線上で「高勘」の他の工人のねまりこ(勘治型)の話をしたい。高勘の当主だった盛雄さんが勘治型の制作に厳格だったことは先に話した通りであり、血縁以外の弟子筋の工人(柿澤是隆さんや滝島茂さん)は盛雄さんが健在の内は勘治型のこけしを作ることは出来なかった。もっとも、第288夜で紹介したように内緒で勘治型を作っていたようではある。従って、盛雄さんが作っていない勘治型ねまりこを作ることは考えられないことであった。勘治型ねまりこを作るとすれば、福寿さんのねまりこを参考にしたと思われる。口絵写真は、滝島茂さんの勘治型ねまりこの表情である。

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写真(2)は中央が昨夜紹介した福寿さんのねまりこ(S51)、左が滝島茂さん、右が義一さんの勘治型ねまりこである。滝島さんのねまりこは、おそらく昭和50年代後半の作だろう。これも勘治型こけし同様、収集家の依頼で作ったものと思われる。その際に参考にしたのは福寿さんのねまりこだろう。福寿作に比べて、頭は平頭で肩の山は低く、胴下部は横に大きく広がっている。福寿作を上から押し潰して横に広げたような形態である。胴模様は福寿作と同様の菊模様である。義一さんのねまりこは平成12年作。未だ福寿さんは健在(福寿さんはH13.1逝去)であったが、福寿さんのこけしも継ぐという話になっており、勘治型ねまりこを作ることに支障はなかったであろう。義一作は胴がずんぐりとしており、胴模様も盛雄さんの勘治型(西田勘治型)を引き継いだ菊模様になっている。是隆さんも勘治型ねまりこを作っていると思われるが、確認できていない。

第827夜:太治郎から正一へ

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Tajiro_s17_kao先日、昭和17年の斉藤太治郎と佐藤正一のこけしを入手する機会があった。昭和17年と言えば、太治郎がこけし制作を止め、正一がこけし制作を始めた時期にあたる。太治郎こけしが太治郎から正一に引き継がれた年ということになる。そこで、前に入手していた同時期のこけしも含めて、この時期の太治郎と正一のこけしを比較・検討してみたいと思う。口絵写真は昭和17年の太治郎こけしの表情である。

戦前の土湯で、その独特な描彩から一世を風靡した太治郎も、昭和15年頃から制作数が少なくなり、17年には殆ど停止状態となってしまい、20年2月13日に亡くなってしまう。一方、太治郎の娘婿になった佐藤正一は昭和5,6年頃から土産物店を始め、太治郎こけしを販売していたが、16年より木地挽きを始め、太治郎型のこけしを作り始めた。

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写真(2)は、右から太治郎6寸7分(S16頃)、同8寸(S17.10)、正一8寸(S17初)、同6寸3分(S17.11)である。今回入手したのは、右から2番目と左端のこけし。右から2番目は74歳、「17.10」の書込みもあり、殆どこけし制作を止めたと言われる17年作ということになり、太治郎こけしとしては最晩年にあたるものである。その割には、木地形態もしっかりしており、面描、胴模様にも破たんは見られない。晩年には細く単調になったと言われる紫の波線も太くしっかり描かれている。ただ、こうして4本を並べて見ると、頭は縦長で胴も細く、やや弱い印象を受ける。左2本の正一の紫波線は、右端の太治郎の紫波線をお手本にしたものと思われる。

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写真(3)に胴底の書込みを示す。右から2番目は「為書き」があるので本人署名であろうか? 右端はそれとは筆跡が異なるので本人署名ではないかも知れない。左端の正一作にも「為書き」が見られる。

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写真(4)に頭部を並べて見た。右の太治郎2本は、眉・目の描線が細く、弱い印象を受ける。一方、左の正一2本は、眉・目の描線に力があり、若々しい感じを受ける。正一の極初期と思われる左から2本目のこけしは、木地形態、胴の細い紫波線、眉・目の下がった面描などから、右端の時期の太治郎こけしをお手本にしたものと思われる。それから暫く経った左端の正一では、目の位置が上がって大きくなると共に、前髪の左右の一番外側の2本が眉毛を超えて目の辺りまで大きく下がって描かれているのが特徴である。

第828夜:高瀬善治のこけし(初期)

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Tzenji_s10_kaoある工人のこけしの経年変化を調べる場合、先ずは文献でその工人のこけしを色々と調べ、それを年代順に並べて、その時々の特徴を抽出することになる。手持ちのこけしをそれらの特徴と比べて、年代を特定していく。そういう過程で、欲しいこけしが出てくるとそれをチェックしておき、こけし会や業者、そしてヤフオク等で出会いを待つことになる。今回はそうして求めた高瀬善治のこけしである。善治の戦前のこけしは第757夜で紹介後にも2本入手したが特に古いものではなく、今回ようやく初期のものと思われるこけしが手に入ったので紹介したい。口絵写真は、初期善治の表情である。

「こけし辞典」によれば、高瀬善治は大正5年、17歳の時に小林弥七について木地修業をし、こけしも習ったという。但し、現在知られているこけしは「こけしと作者」「古計子加々美」に写真掲載されたものが最古であるようだ。「作者」「加々美」に掲載のこけしは、頭が丸くやや縦長で、胴上部は肩が張って直線的、肩の段は無いらしい。胴中央部でやや窪み、そこから胴裾にかけてやや広がっている。表情は素朴で、胴の牡丹模様は太い筆致で描かれている。

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写真(2)に善治のこけしを並べて見た。左端は昭和22年作、真ん中の3本は昭和15年前後の作、右端が今回入手のこけしである。大きさは8寸、頭はやや縦長で丸く、黒頭の髪先は揃っており、左から2番目の黒頭のように髪先がギザギザにはなっていない。胴上部は直線的であるが、肩はやや丸く低い段になっている。胴模様の牡丹は筆太に描かれている。形態的に、「作者」や「加々美」よりはやや新しく、「愛玩鼓楽」859番とほぼ同型で昭和10年頃であろうか。

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写真(3)は頭頂部を写したもの。

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写真(4)は顎の部分を写したもの。戦前のこけしには、左のように口の下、顎部に赤二筆で「二重あご」が描かれている。右のこけしには描かれていない。このような二重あごは他に類例が無く、どうして描かれたのか分からない。

第829夜:友の会4月例会(H25年)

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1304reikai_omiyage昨日は東京こけし友の会の4月例会があったので、その報告である。大型連休の前半3連休の中日にも拘わらず83名もの出席があり、今回も2名の新入会の方が参加された。おみやげこけしは遠刈田系の新人熊谷さんのこけしで胴模様は重ね菊と旭菊の2種類があった。4月は友の会の総会が開催されるので新品こけしの頒布はなかった。例会ギャラリーの後、中古こけしの頒布、抽選、入札と続き、こけし界ニュースを挟んで総会に入り、H24年度の事業/会計報告、H25年度の事業計画/会計予算の説明と60周年記念行事の話があり、議案全てが承認された。口絵写真は、熊谷さんのおみやげこけし2種である。

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写真(2)は例会ギャラリーで、佐藤文吉の一側目こけしについて、戦前作から戦後作に渡る興味深い解説が、スライドも使って分かり易く行われた。

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写真(3)はギャラリーのこけし。左端は戦前昭和17年のこけし、左から2番目は昭和26年作、くりくり目が愛らしい。以降、徐々に形態、表情も変化していったことが分かる。

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写真(4)(5)(6)は中古頒布のこけし。保存状態の良いものが多かった。

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写真(7)は抽選のこけし。左から笹森淳一、北山盛治、間宮明太郎、今晃2本、阿部平四郎、阿部陽子、高橋秀雄、鳴子系不明2本、斉藤右内の政五郎型、長谷川正司の子持ち、稲毛豊2本、渡辺恒彦のキン型と本人型、阿部常吉。

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写真(8)は入札こけし。左から、裏模様に蝶が描かれた井上ゆき子の初期こけし、小松五平、小林善作、頭頂ベレー模様の阿部平四郎の珍品、渡辺求の戦前作、昭和30年代中頃の新山久志、渡辺亨の浅之助型。

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写真(9)も入札こけし。左から、小林定雄の初期作、佐藤文吉の小寸2本組、大内恵津子、国分佳子、今晃の五平型、高橋佳隆の忠蔵古型。

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写真(10)は総会が始まる前の会場の様子。


第830夜:福寿の盛勘治型

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Fukujyu_sakari_kanji_kao先日のヤフオクにあまり見かけない表情の福寿こけしが出品されていた。福寿コレクターを自認する身であれば手元で直に眺めたく、先ずは入札に参加し、締め切りまでには間があるため、出品こけしの写真をじっくりと眺めてみた。その内に、その表情がどこかで見たような気がし出した。それが昭和20年代末の小寸盛こけしであることに気付くのにさして時間はかからなかった。そのことから、出品されている福寿こけしは、盛の勘治型を真似ていることが分かったのである。福寿の勘治型に関しては、幅広く集めまた研究もしているが、第700夜で示したように、その初期のものに関しては今一つはっきりしない状態であった。今回のこけしで、福寿の勘治型の初期の不明な部分がややはっきりした。そういう意味でも私にとっては価値のある1本となった。口絵写真は、その表情である。

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写真(2)が今回入手した福寿のこけし。大きさは9寸である。ややきつめではあるが、凛々しい表情で存在感のあるこけしである。

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写真(3)は、福寿独身時代の勘治型と思われるこけし。中央が本稿のこけしで、左は第1夜や700夜でも紹介した尺5寸、勘治型と言うよりは「勘治風」と言った方が良いかも知れない。右は「こけし悠々」に掲載されている尺2寸(36cm)。中央と右は殆ど同型の勘治型である。

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写真(4)は、左が盛の小寸こけし(4寸)、右は盛と福寿のこけしを並べたところ。木地形態(特に肩の部分)、面描とも良く似ているのが分かると思う。ただ、胴模様だけは、福寿さんは自分流の勘治型菊模様を描いている。

昭和27年3月、土橋慶三氏が有名な西田勘治を持って鳴子を訪れる。その時、盛と福寿がその写しを作ったのが勘治型の始まりとされる。しかし、盛の勘治型はその年の内に盛流に変化していく。特に肩の形態と面描(特に目の描法)は大きく変わる。肩の山は低く小さくなり、目は浅いお椀を上下に重ね、その中に眼点を入れたような描法で、目頭と目尻は尖っており、勘治のように両端が丸まった円やかな目とは異なる。当初は目尻の下がった温和な表情であったが、後には目尻の上がったきつい表情となる。これを特に「盛勘治型」と呼んで、勘治の原に忠実な「勘治型」とは区別している。

そういう観点から見ると、今回の福寿こけしは明らかに「盛勘治型」と呼べるものであって、福寿さんも当初は盛に倣って盛勘治型を作っていたのが明らかになった。写真(3)に示したように、これと同様のこけしは「こけし悠々」63頁に載っている。しかし、その写真でしか見たことがなく、本当に盛勘治型かどうか判断に躊躇していたのである。

福寿さんの勘治型も、27年3月の西田勘治の写しから始まるのであるが、「高勘」で盛、盛雄と一緒に生活していた時期には、盛勘治型を作っていたのであろう。しかし、この時期には新型こけしに惹かれており、盛勘治型の制作数は少なく、従って現在目にすることは稀なのだと思われる。福寿さんが、真の勘治型を作り始めるのは、結婚して遊佐福寿となり、「高勘」から独立してからになったと思われる。(第700夜参照)

第831夜:友の会5月例会(H25年)

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1305reikai_yoshio久し振りの更新になってしまった。昨日は東京こけし友の会の5月例会があったので、その報告である。今月から例会会場が変わり、会員でもあるご住職のご厚意により、巣鴨の「とげぬき地蔵尊高岩寺」の「十福苑」で開催された。お地蔵様の直ぐ横が入口であり、日曜ということもあってかお地蔵様の前には長い行列が出来ていた。出席者は、新入会の3名を含めて91名に達した。おみやげこけしは遠刈田系の小笠原義雄さん。例会ギャラリーは「戦前の大沼(後藤)希三のこけし」。新品頒布のあと、今月は入札は無く、抽選こけしの頒布があった。こけし界ニュースを挟んで、第2部は、土湯こけし祭り、全日本こけしコンクールのスライドでの報告があった後、会員が出演した「中川翔子のマニアまにある」の放映があった。口絵写真は私が入手したおみやげこけし。

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写真(2)は小笠原さんのおみやげこけし各種。左から、ぼた菊、桜くずし、井桁、枝梅、重ね菊模様。

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写真(3)は新品頒布こけし。左から小椋英二さん2種、野地三起子さん3種、佐藤康広さん、佐藤英裕さんのこけし。

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写真(4)も新品頒布。西山敏彦さんの子持ちえじこ各種。今回のテーマは「初夏」ということで、敏彦さんのアイデア溢れる作品が揃った。左端のガラス容器型えじこの前に並んでいる小さなこけしは胴が何と「万華鏡」になっている。

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写真(5)も新品頒布。大沼秀顕さんの竹雄写し。中央のこけしが竹雄の「原」である。

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写真(6)は抽選頒布のこけし。後列左から、斎藤健男の松治型、井上ゆき子の三代型、珍しい保存極美の軽部留治(戦前作)、志田八郎(稀品)、佐藤巳の助の本人型、佐藤昭一の周助大正型、安藤勇の丑蔵型、村木せつ子、佐藤洋子、前列左から、佐久間芳雄、今晃の伊太郎型、佐藤洋子、小林えい子、佐藤文吉2本組。

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写真(7)も抽選品で、野地忠男さんの傘/帽子こけし各種と愛らしい小寸こけしが揃っていた。

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写真(8)、(9)、(10)は満員の会場風景。

第832夜:温顔静姿

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Takezo_s14_kao鳴子の高橋武蔵の製作歴は長く、大正時代から昭和44年に亡くなるまでの多くの作品が残っている。戦前から戦後まで殆ど休むことなく一貫して作られた武蔵のこけしはあくまで標準的なものであり、その作行に大きな変化は見られない。「温顔静姿」は「高亀」こけしを評する代表的な言葉であり、それは武蔵のそうした製作姿勢から生まれたものであろう。今回紹介する武蔵こけしは、その中でも正に「これぞ武蔵!」と言って良いほどの代表的なものと思う。口絵写真は、その武蔵こけしの表情である。

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写真(2)がその武蔵こけし。大きさは尺。胴底には入手者が書いたと思われる「高橋武蔵 昭和十四年六月十五日」の書込みがある。頭はやや横に広い丸頭で、胴は太いが直線的でどっしりとした重量感がある。肩の山は大きく高い。胴には3段の重ね菊が大きく描かれている。頭が横広ぎみなので顔の面積も広く、眉・目は鬢寄りに大きくゆったりと描かれている。やや視線を下げ、かすかな微笑みを湛えた表情は、まさに「温顔静姿」を体現したものと言える。

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写真(3)に昭和10年代の武蔵こけしを並べて見た。右から昭和10,11年頃、同13年頃、同14年、同16,17年頃。右端は胴細めで肩の山は低い。3段重ね菊の最下段の菊には茎が無く、緑の土から蔓が左右に2本ずつ出ている古い描法である。右から2番目では肩の山が高くなり、最下段の菊には緑の土が描かれているが蔓は描かれていない。左から2番目の本稿のこけしでは最下段の土も描かれなくなっている。左端のこけしは、頭がやや縦長となり、眉・目の描線に勢いが無く寂しげな表情である。また、最下段の土も最上段の蔓も描かれなくなった。

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写真(4)は胴裏であるが、中央の2本には胴裏下部に「高橋武蔵」という名前が書いてある。戦前の武蔵こけしには署名は無いのが普通であるから、これも本人署名では無いと思われるが、2本のこけしの同じような場所に名前が書かれているのは興味深い。

第833夜:梅木直美さん実演

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1305naomi_jituen_2昨29日より、横浜高島屋で「第12回紅花の山形路物産と観光展」が開催されており、梅木直美さんが来店しているというので、今日外出の帰りに寄ってきた。2日目の午後ということでそれほど客は多くなく、ゆっくり作品を拝見してお話もしてきた。初日の昨日は来客が多く、実演(描彩のみ)をする暇も無かったとのこと。直美さんの出店コーナーはそれほど広くはないが、2方に作品を並べ正面の作業台で描彩を行うとのこと。作品は、父修一さんからの岡長型各種の他、今風のこけしやダルマ、こけしグッズなどが沢山並べられている。来週の火曜日(6/4)まで開かれているので、多くの方々に見に行って頂きたいと思う。口絵写真は描彩中の直美さん。

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写真(2)は今回入手した子持ちこけし。これまでは親をお父さんの修一さんが子を直美さんが作る親子こけしが多かったが、今回は親、子とも直美さんの作。左は写真撮影用に小さな紙片にこけしを描いてくれたもの。

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写真(3)は会場の全体像とお客さんの相手をする直美さん。

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写真(4)、(5)は2方向(横と後)に展示された作品群。

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写真(6)は直美さん。

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写真(7)、(8)は伝統的な岡長(岡崎長次郎)型こけし。

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写真(9)は最近人気の「ずんぐりこけし」。ナデヒコ模様と旭菊模様は今回初。

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写真(10)は猫ダルマ。

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写真(11)はこけしグッズ各種。

★友の会HP一時閉鎖★

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東京こけし友の会のホームページが、5/30に改ざんされ、危険サイトに登録されたことが判明しました。海外からの攻撃と思われます。そのため、現在修復作業を実施するとともに外部からのアクセス状況を監視しております。

友の会HPはトップページのみ表示し、閉鎖しております。利用者の皆様には、ブラウザのバッファに以前の情報が残っている可能性があるので、バッファはクリアして下さい。

皆様には、大変ご迷惑をおかけ致しますが、ご理解頂きたくお願い致します。

(東京こけし友の会)

☆友の会HP再開☆

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東京こけし友の会のホームページは、5/30に海外からの攻撃により改ざんされたことが判明したため、6/4に全ページを削除してクリーンアップを実施しました。その後ほぼ一週間に渡り監視を行いましたが、再度の攻撃などの問題は発生しなかったため、本日よりホームページの公開を開始致しました。(過去のページは順次掲載していきますので、全ページを元に戻すには暫く時間がかかります。)

5/30から6/4の間は改ざんされたページが公開されていたことになり、この間に友の会ホームページにアクセスした場合、何らかの問題が発生した可能性があります。アクセスした心当たりがある場合は、ウィルス対策ソフトでチェックされることをお奨め致します。

現在、再度の攻撃に対して考えられるセキュリティ対策を実施しており、攻撃があった場合には直ちに判明するような処置も行っております。

なお、グーグルなどでは友の会ホームページが危険サイトに登録されており、アクセスすると警告メッセージが出たり、アクセスを拒否されたりするようになっています。危険サイトから外すためにはグーグルの再審査が必要であり、そのためには若干日数を要するようです。ご理解くださるようお願い致します。

今回のホームページ改ざんで、多くの方々にご迷惑・ご心配をおかけしたことに対し、あらためてお詫び申し上げます。

(東京こけし友の会)

第834夜:佐藤護(S15)

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Mamoru_s15_kao_2ある工人のこけしを年代順に集めていると、ポイントになるこけしが分かってきて、それは何とかして手に入れたいと思うものである。蒐集家の性であろうか。佐藤護の昭和15年作もそんなこけしの1つであった。それがヤフオクに出た。状態もなかなか良さそうだ。早い時間から入札に参加していたがあまり値が上がらないまま締切が迫ってきた。これは法外の安値で落札かと思ったのはぬか喜びで、結局相応の価格で我が家に来ることになった。口絵写真がその護こけしの表情である。

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写真(2)に本稿の護こけしの正面と側面を示す。大きさは6寸。全体に古色は付いているが色は完全に残っているので、ちょうど良い色合いである。角ばった頭に太目の胴。肩はやや張っている。佐藤護は佐藤寅治の3男で、父について木地修業をし、父と共に黒川郡嘉太神に行った折にこけしも作り始めたと言う。その後は北岡木工所で横木類を専門に挽いた。出征を経て昭和16年より佐藤好秋の工場で本格的に木地を再開とある。但し、昭和15年作というこけしが「古計志加々美」等で知られており、「加々美」では佐藤友晴木地に描彩のみ行ったとある。従って、15年作の護こけしは木地別人なのかも知れない。

描彩を見てみよう。胴には大きめの菊を4段に重ねて描いており、ロクロ線はない。面描では、切れ長の細い三日月目が目を引く。眼点は小さく鋭い眼光を放っている。破調の美とも言われるような表情であるが、本稿の護はかなり整った表情に見える。頭頂部の水引は前髪後ろの青点より放射状に伸びる。くねり線はない。鬢飾りは前髪の横から始まり、後方に向かって横に引かれており、鬢の上部までしか描かれていない。前髪は振り分け髪、鼻は上部が離れた割れ鼻で直治や直助にも見られる。口は赤二筆である。父寅治からの伝承と思われるが、寅治のこけしが残されていないため推測の域を出ない。ただ、叔父である直治や直助と通じる部分も見受けられ、周治郎系列の作風を漂わせている。

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写真(3)で、その後の護こけしと比べてみよう。右は昭和16年の作。本格的にこけしを再開してからの作と思われ、木地も本人であろう。頭は縦長の卵形となり、肩はなで肩となっている。面描は大きく変わる。眉・目は湾曲が大きくなりユーモラスな表情となる。15年作(中央)のような力強さ、ドキッとするような鋭さは影を潜める。これは眼点が大きくなったことによるものであろう。左は戦後の56歳作。木地形態は15年作に近いが胴は細く、肩もややなで肩である。表情もなかなか味わいがある。胴の重ね菊も4段であり、中央の15年作を意識して作ったようなこけしである。こちらも、面描、胴模様とも力強さは15年作に及ばない。

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写真(4)は(3)の3本の側頭部を比べたもの。鬢が太く、鬢飾りも水平で後ろに跳ねるように描かれている15年作に対して、右の16年作では鬢が細くなり、鬢飾りは数が多く華やかになる。左の56歳作では鬢は更に小さくなり、鬢飾りも小さく斜めに描かれるようになる。こけしは、その作られた時代を反映するものであり、この3本も無言の内にそれを語っているのであろう。


第835夜:盛こけし(鑑定)

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Sakari_s1dai_kao関東地方は雨模様の日が続き、梅雨真っ只中という気配であるが、西日本は真夏を思わせる暑い日が続いているようだ。沖縄は早くも梅雨が明けており、日本も広いなぁと感じる今日この頃である。さて、本ブログの更新も久しぶりになってしまった。今夜は、鳴子の高橋盛こけしの製作年代を推定してみたいと思う。対象となるこけしは暫く前にヤフオクで入手したもの。昭和1桁台というところまでは、ほぼ間違いないと思っているのだが…。口絵写真は、その盛こけしの表情。

高橋盛の戦前のこけしは、昭和13年までの「前期鳴子時代」と昭和14年から23年までの「秋田時代」に分けられる。今夜は、この前期鳴子時代を更に詳しく見ていこうというものである。

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さて、写真(2)を見て頂きたい。戦前の盛こけし(大きさ尺)を2本並べたものである。一見するとほぼ同じように見えるこけしである。左のこけしは戦前ピーク期として第577夜で紹介したもの。昭和8~9年頃と推定している。木地形態は頭は右がやや広めで頭頂部が平たい平頭、左は蕪形であろう。胴は右は中央部がやや凹んで裾部が広がっており、左は中央部はやや膨らみ気味である。材質は右はイタヤで重く、左はミズキで軽めである。肩の部分は右はやや角張り気味であるが、赤いロクロ線は肩の上面から連続的に引かれているが、左ははっきり角ばっており、赤いロクロ線は肩上面と胴最上部が別々に引かれており、肩の角は木地の地色が表れている。

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次に面描を見てみよう。写真(3)は頭部のアップ。先ず、頭頂部の紡錘形の黒髪は、右がやや長いがほぼ同じ形、赤い水引は左右5筆ずつで、これも大きな違いはない。鬢は右は3筆であるが筆跡は明確ではなく、鬢下部は一緒になっている。一方左は4筆で一筆一筆がはっきり区別できる。鬢飾りは共に3筆であるが、右は鬢より上向きになっているが、左は斜め上向きである。目は右の方が眼点が大きく潤んだような瞳になっている。

次に肩の山の部分。山の大きさはほぼ同じであるがロクロ線の配色が異なる。右では肩の上面と接する下部は緑の太線、そこから首にかけて、赤細線3本、赤太線、赤細線3本、緑細線1本となっている。一方左は山の下部から赤太線、赤細線2本、緑やや太線、少し間を開けて緑細線、緑太線、赤細線、赤太線となっている。

次は胴模様、共に上に横菊、下に正面菊を描いている。横菊は右が全花弁が上に向くように描かれ、中央の2本は交差している。対して左の横菊は下部は横を向いたままで、中央の2本も交差するまでには至っていない。正面菊はほぼ同じ。中央の添え葉は、右は葉先が立っているが、左は寝ている。

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さて、それでは本項のこけしの製作年代を推定してみよう。写真(4)は比較のために昭和1桁台の盛こけしを1本追加してみた。盛の戦前鳴子時代のこけしについては、木形子洞頒布(昭和7年)が1つの転機と思われる。この木形子洞頒布品は頭が平頭で肩が張っているなど、木地については盛雄ではないかとの説もある。それ以前の盛こけし(大寸物)では肩は丸まっており、そこに赤いロクロ線が引かれている。この形態は勘治からの流れでもあるのであろう。それが明確な角肩になり、そこに引かれるロクロ線が肩上部と側面で別れるのは木形子洞頒布からなのである。そしてその形態は、その後の鳴子時代、秋田時代へと引き継がれていく。また、鬢の筆法が1本ずつ分かれるようになるのも木形子洞頒布の頃からであるようだ。

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写真(5)は、3本の上部を斜めから写したもの。右は肩がほぼ丸いもので昭和3、4年頃のもの。左は木形子洞頒布以降で肩は張ってロクロ線も分かれている。真ん中のこけしは木地形態、描彩など右のこけしにほぼ同じ。肩は張ってきたがロクロ線は繋がっていて分かれていない。全体的な雰囲気は右のこけしに近い。従って、昭和5、6年頃のものではないだろうか。右のこけしは黒くなって緑色が殆ど残っていないので、本項のこけしで補うことが出来て有難い。

★信雄さん逝く!★

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我妻信雄さん(遠刈田系)が、6月9日に肺炎で逝去された。享年80歳(満)。先だって、ヤフオクに信雄さんの状態の良いこけしが纏めて出ており、私も1セットを入手したので、本ブログで紹介する矢先でもあった。周治郎系列の本格派工人として将来遠刈田系を背負っていくものと期待されていたが、病の後遺症で手が不自由となり、それからはこけし作りを断念せざるを得なくなっていた。心からご冥福をお祈りしたい。なお、信雄さんのこけしについては、稿を改めて紹介したいと考えている。

第836夜:美津雄さんの初期こけし

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Mitsuo_no487_kao温湯の盛秀太郎さんのこけしは、私がこけし収集を始めた昭和40年代後半の時点では最も入手が難しいこけしであり、催事の目玉としてやっと1本が抽選で、しかも寸1万円の高値で出品されているような状況であった。その盛秀こけしを継ぐ美津雄さんも最近は体調が思わしくないようで、こけしもあまり作れないようだ。一方で、ネットオークションのお蔭で、そんな入手難のこけしも結構出品されるようになり、金に糸目をつけないなら割合容易に入手できるようになった。特に珍しいこけしの出品は有難いものである。今夜は、そうして入手した美津雄さんのこけしを取り上げてみたい。口絵写真は、美津雄さんの初期こけしの表情である。

盛美津雄さんは、昭和52年より、祖父秀太郎、父眞一について、木地挽き・描彩の修行を始め、こけしを作り始めた。そして、その初期の作1000本には制作ナンバーを付けている。この制作ナンバーは52年7月頃から付け始め、54年3月頃に1000番に達した。(以上、「盛秀一家のこけし辞典1」より) 従って、作り始めてから約2年弱の間につくられた、このナンバー付きこけしを初期作と言っても良いだろう。なお、奥瀬陽子さんや恵介さんも初期作にはナンバーを付けている。

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写真(2)中央が本項のこけし。大きさは尺3分。制作ナンバーは487、昭和53年の作である。保存状態は完璧である。盛秀型こけしの場合、胴中央部の黄色と紫のロクロ線が退色し易いのであるが、まったく退色はない。35年も経っているのに作りたてのような状態は、前の所蔵者が如何に大切に扱っていたかが偲ばれ、それが今回入手の動機の1つでもあった。右のこけしは、大きさ8寸1分、制作ナンバーは791、昭和53年の作。以前、阿佐ヶ谷の天祖神社で開催されていた「民芸こけしの会」の頒布会で中古品として入手したもの。こちらも保存は完璧である。左のこけしは、大きさ尺。昭和61年頃の作で、こちらも保存状態は完璧と言って良いであろう。右2本はナンバー付きの初期作と言えるもので、作行きは近いが、左のこけしとはやや違いが見られる。形態的には、頭がやや縦に長く、頭頂部が尖り気味である。描彩面では、表情の初々しさが一番の見どころであろうか。作り始めの新鮮な気持ちが表情に良く表れている。それから、鼻が比較的細いのも、この初期作の特徴である。左のこけしと比べて頂きたい。ロクロ線、アイヌ模様に大きな違いは見られないが、ダルマ絵の顔の色が違っている。美津雄さんのダルマは、左のように赤い顔をしているのが殆どであり、中央のように肌色なのはむしろ珍しいと言えるだろう。

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写真(3)に署名と制作ナンバーとを示す。制作ナンバーが付いている時期の署名は「みつお」のみが多く、「もり」もあるようだ。その後、昭和55年頃からは「もり みつお」となり、60年頃からは「盛 みつお」、そして平成8年からは「盛 美津雄」と変わっていく。

一見同じように見える盛秀型こけしも、よく観察してみると制作時期により木地形態や描彩に違いが見られ、これはこれでなかなか面白いものである。

第837夜:友の会6月例会(H25年)

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1306reikai_omiyage昨日は東京こけし友の会の6月例会があったので、その報告である。今月も新入会者1名を含めて80名を超える出席者があった。おみやげこけしは鳴子系の菅原和平さんで、4種類の模様があった。例会ギャラリーは拡大版ということで、第二部で行われ、南部系のこけし約80本を展示して、南部系の全体の解説があった。普段見過ごしがちの南部系も、系列・時系列毎に良く見てみると流石に見応えがあり、南部系に対する見方も変わったのではないだろうか。第二部では、他にもフランス向けに作られた友の会例会の紹介ビデオ、昭和30年代の鳴子や木地山の珍しいビデオも放映され、盛りだくさんの内容であった。口絵写真はおみやげこけし4種。

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先ずは新品頒布こけし。上の写真は遠刈田系、左が佐藤哲郎さんのヤミヨこけし。相変わらず手の込んだ華麗なこけしである。右2本は達曽部早苗さんのこけし2種(ぼた菊と枝梅)

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2枚目は、左から我妻敏さん(遠刈田系)の松之進型こげす、斎藤弘道さん(土湯系)の独楽入りエジコ、大人気で最初に完売となった。右2本は煤孫盛造さんのキナキナ2種(帯入りとロクロ線入り)。ギャラリーの古品と見比べるのも面白かった。

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3枚目は、佐藤誠孝一家のこけし。左2本は裕介さん、真ん中2本は英之さん、右端のえじこは誠孝さん。一家でも、それぞれの特徴が良く出ている。

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4枚目は、新山真由美さん(弥治郎系)の福太郎型(左端)と喜一型の小寸こけし各種。実に愛らしいこけしである。

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5枚目は、新山吉紀さんの喜一型。迫力のあるこけしである。右端は大寸物を縮小したもの。

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写真6、7枚めは中古こけし頒布品。

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写真8は入札こけし。今月は久し振りに古品も出た。左から、岡崎斎(鳴子系)、戦後作だが、表情が凛々しい。2本目は佐々木久作(鳴子系)、秋田時代の高橋盛の弟子で保存完璧。3本目は鎌田文市(弥治郎系)、頭大きく小寸ながら存在感あり。4本目は西山勝次(土湯系)、昭和16年頃か、表情素晴らしい。5本目は蔦作蔵(弥治郎系)、頭が外れて胴は刳り貫かれており、何かの容器になっている。6本目は阿部新次郎(土湯系)、昭和15頃年で自身の旧作の復元作、保存も良く秀逸。7本目は佐藤文六の作り付け一筆目、この型は文吉も作っている。右から3本目は大沼健三郎(63歳)、ヌーボーとした雰囲気が良い味。2本目は小椋啓太郎の戦前作。右端は佐藤寛次(護の息子)のこけしで数が少ない。他に、河村守の井桁模様のこけしもあった。

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写真9は抽選こけし。えじこを含む野地こけし10本の他、阿部進矢の旧作2本、保存完璧の斉藤源吉、荒川洋一の大寸善吉写し、珍しい表情の高橋雄司、高橋精志の精助型初期作、阿部シナの治助型初期作などがあった。人気は今晃の小寸(嶽)。

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写真10は、第二部のギャラリー風景。ダブルスクリーンを使った解説は、こけしが良く見えて分かり易い。

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写真11,12は南部系の古品群。煤孫茂吉、藤原政五郎、藤井梅吉、照井音治など逸品が揃っていた。

第838夜:友の会創立60周年記念展示会始まる!

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130710kamei_zenkei7/9(火)より、仙台のカメイ美術館で、東京こけし友の会創立60周年記念展示会が始まったので、その紹介である。今回の展示会はそのタイトル「友の会の名品と思い出のこけし」にあるように、友の会に関係した古名品、会員の思い出のこけし、会頒布のこけし(おみやげこけし、周年記念こけし等)の3パートに大きく分けられる。古名品は、その名の通り、こけし界で名品と言われているこけしを、関連して展示している。明治期の栄治郎こけし3本、勘治こけし2本が揃って展示されるのは本邦初である。思い出のこけしは、会員の思い入れのあるこけしで、古品から最近作まで、実にバラエティに富んだ作品が並ぶ。約400本に及ぶ会頒布のおみやげこけしは、まさに壮観の一言に尽きる。7/13(土)には、誰でも参加できるオープニングパーティも予定されており、多くのこけし愛好家に参加頂きたい。

それでは、以下、会場の様子を写真で紹介しよう。こけしの写真はガラスケースに入っているため鮮明でないことをご容赦願いたい。なお、プロカメラマンによる全品鮮明に写した写真集(図録)が刊行される予定なので、そちらをお待ち頂きたい。

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カメイ美術館の1階入り口に張られた展示会案内。

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展示会のポスター。

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展示会場(7階)入り口から見た会場全景。初日早々から、中学校の絵付け学習が入っていた。

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古名品の展示ボックス。

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思い出のこけしコーナー。

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おみやげこけしの群像。

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友の会の会員証。

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