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Channel: こけし千夜一夜物語
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第802夜:新春古品入札(庄七?)

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Takeji_s26_kao一昨日14日は朝から今年初めての雪となり、昼過ぎには積雪10cmを超える大雪となった。成人式を迎えられた方々は大変だったことだろう。こちら自由人は家で温々していた訳だが、夜には今年初めての本格的な古品入札の締め切りが控えており、粛々とその時を待っていた。古品とその周辺のこけしが10本ほど出品されており、主なものは早々と高値になっていた。古品は、白畑重治、佐久間米吉、佐久間七郎、西山勝次、鈴木庸吉、高橋精助、荒井金七、佐藤丑蔵の8本で、戦後直ぐのものは菅原庄七、高橋忠蔵の2本があった。この内、庄七と庸吉が激戦を乗り越えて我が家にやって来た。今夜は、その内の庄七を紹介したい。口絵写真はその表情である。

出品時の解説では、『銘はありませんが、背中に小さく「秋保 26(おそらく年度) 菅原庄七」とペンによる書き込みがあります。』となっていたが、何となく庄七ではないような気がした。その訳は(1)鬢の下部が外側に跳ねている、(2)前髪と眉毛が接近している、(3)胴の重ね菊に庄七特有の赤の縦線が無い、ことである。このような特徴は戦後の武治に当てはまるものであり、昭和26年という年代からもその可能性は強かった。ただ1点気になったのが、重ね菊の添え葉の様式であった。

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写真(2)に武治の戦前から戦後のこけしを並べて見た。右から、戦前作、本項のこけし(26年)、28年のこけし、30年のこけしである。このように年代順に並べて見ると、このこけしが武治の作だと言うことが頷けると思う。26年の作は、胴の形態、緑の太いロクロ線、重ね菊模様とも戦前作と殆ど変わっていない。但し、頭は角張り、面描では前髪や鬢に平筆が使われていることが分かる。鬢は28年や30年の方が大きさは小さいが昔風である。目の湾曲は戦前から年代が下るにつれて少なくなっていく。

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写真(3)はこの4本を横から見たところ。本項のこけしの胴の添え葉が他の3本と異なることが分かると思う。重ね菊の頂点から始まる葉元は丸まっており、そこから斜め下に延ばした葉先に上から交差するように緑の線が入っている。このような様式は他の時期には見られず、どうしてこう描いたのか今のところ不明である。いずれにしろ、武治の年代変化を見るためには貴重な1本である。

さて、次回は本命の庸吉こけしを紹介したい!


第803夜:新春古品入札(庸吉)

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Yokichi_b_kao鈴木庸吉のこけしは私の好きなこけしの中でも特に惹かれるこけしの1つである。しかし、その庸吉こけしを持つことが出来るとは思いも寄らなかった。庸吉のこけしは20本前後しか残っていないと言われているからである。古品入札で知られる「ひやね」の入札でも2回しか記録がなく、その2点とも所謂C型(面描別人)であった。その庸吉(B型)がヤフオクに出品されたのである。普通なら大変な争奪戦となり、その価格も鰻登りであったと思われる。その庸吉が我が家に来ることになったのは、胴に大きな割れがあったからに他ならないと思う。そのために入札に参加されなかった、あるいはそこそこの価格で降りてしまった愛好家も多かったと思う。今夜は、そんな巡り合わせで入手できた庸吉こけしを紹介したいと思う。口絵写真は、その表情のアップである。

鈴木庸吉とそのこけしの概略については第279夜に記載したので、そちらを参照して貰いたいが、そこでは庸吉こけしはA、B、Cの3つの型に分類されると述べている。先ずは、この3つの型に当てはまるこけしの写真を紹介しよう。

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写真(1)はA型。昭和14年9月に深澤要氏が庸吉を発見した後、庸吉から送られてきた数本の内の1本で、大きさは8寸1分。「こけしの追求」に掲載。

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写真(2)はB型。菅野新一氏によると、庸吉は昭和14年秋から17年春までに十数本のこけしを作ったという。それと、鹿間時夫氏が16年10月に庸吉を訪ねて五十嵐氏より入手した2本がB型にあたる。左から8寸6分(西田蔵品、15年4月12日に菅野氏より恵与)、8寸5分(鹿間旧蔵、16年10月入手)、尺4分(名和旧蔵、16年)、尺2分(久松旧蔵、15年12月29作)。

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写真(3)はC型。庸吉が17年正月に仙台の鹿間氏を訪ねた折、持参したこけしについて、目鼻は庸吉が鉛筆で下書きをし、その上を娘か誰かが描いたとのこと。これがC型と呼ばれている。左から8寸3分(西田蔵品、17年12月6日に五十嵐木工場より入手)、尺3分(名和旧蔵、17年)、9寸9分(久松旧蔵、17年頃)、8寸4分(米浪旧蔵、16年、ひやね入札品)。特徴は眉・目・鼻の描線が細く、眼点も点状で小さいこと。

次回に続く・・・。

第804夜:新春古品入札(庸吉2)

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Yokichi_b_atama昨夜の庸吉の続きである。今夜は、入手した庸吉こけしをじっくり見ていきたいと思う。口絵写真は、その頭部の描彩である。

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写真(2)は胴の割れの状態である。ご覧のように胴底から肩の山の部分まで、深さ2cmほどの割れが見事なまでに入っている。ただ、肩の山の部分の割れは頭の嵌め込み部分の直前で止まっているようで、頭は胴にしっかり嵌っており普通に回すことが出来る。スレスレでセーフといったところであろうか。

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写真(3)に昨夜紹介した庸吉B型の同じ胴模様のものと並べてみた。真ん中が本項の庸吉で、左が西田蔵品、右が鹿間蔵品である。ご覧のように、正面から見ると胴の大きな割れは殆ど見えず鑑賞上は支障がないということである。こうして3本を並べてみると、本項の庸吉は鹿間庸吉に近いことが分かる。西田庸吉は昭和15年4月に入手したものであり、鹿間庸吉は16年10月に入手したもの。ともにB型であるが、西田庸吉は肩の山もやや低く、時期的にも右2本よりはやや古いものであろう。鹿間庸吉は「こけし鑑賞」のモノクロ写真であるが、その色彩jは本項の庸吉とほぼ同じであったと考えて良いだろう。木地形態は細身の長い胴にやや大きめの頭を乗せ、胴はかすかに凹んでいる。胴上下と肩の山のロクロ線は赤のみで緑は使われていない。これが古い鳴子こけしの様式なのであろう。胴模様は3段の重ね菊。

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写真(4)では、面描の特徴を見てみたいと思う。真中が本項のこけしで、左は西田庸吉(7寸3分)で、顔の面積が小さく、A型かとも言われているものである。ここでは眼点の入れ方に注目してみた。西田庸吉では右目は下向きに左目は横向きに眼点を入れている。本項の庸吉も同じ入れ方をしている。最も、写真(2)の庸吉は両方とも下向きなので、単なる偶然かもしれないが、それによって表情に独特の味わいが出ているようにも思える。

さて、昨夜の口絵写真をご覧いただいた時点で気づかれた方も居たと思うが、本項の庸吉の一番の特徴は、鬢の後の3つの赤い飾りが付いていることなのである。今まで数多くの鳴子こけしを見てきたが、このような鬢飾りにはお目にかかったことはなかった。また、文献などで見かける庸吉こけしでも見たことがない。(「蔵王東のきぼこ版画と解説」は未見であり、そこには載っているかも知れないが・・・) どうして、このような飾りが付いたかは気になるところ。そこで庸吉に関する文献を見ていると、庸吉は明治35年に肘折温泉に出稼ぎに行っており、そこで木地技術や描彩(染料)に関する最新の知識を得て帰ったとある。写真(4)右は大沼新兵衛の肘折型のこけし。新兵衛も肘折に行って、このようなこけしを作っている。これは肘折型なので鬢の後に赤い飾りが付いている。庸吉は流石に肘折型のこけしは作らなかったが、肘折で見たこけしを参考にして、自身のこけしにこのような鬢飾りを付けたのではないかと思われる。1本のこけしを元に調べてみると色々な発見がある。これもこけし収集の醍醐味の1つなのであろう。

第805夜:友の会新年例会(1)

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1301reikai_omiyage_masashi昨日は東京こけし友の会の平成25年新年例会があり、出席したのでその報告である。日差しはあるものの寒さが厳しい日曜日、12時を過ぎた頃から受付には参加者の列が出来、昨年の新年例会を更に上回る116名の参加者を得て、例会は始まった。今年の招待工人は、津軽系の本間直子さんと土湯系の野地三起子さんのお二人。女性工人ということもあって、会は一段と華やいだ雰囲気で始まった。マスコミの取材も入り、若い会員の姿も一段と多くなり、昨今のこけしブームを体現するような状況であった。口絵写真は、おみやげこけしの長谷川優志さん。今回は4寸で38種類もの型変わりがあり、受付で渡される袋には何が入っているか楽しみでもあった。

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写真(2)は、招待工人お二人の挨拶風景。右が本間直子さんで、左が野地三起子さん、三起子さんの隣に座っている男性は三起子さんの旦那さん。

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写真(3)は、会長の挨拶に聞き入る会員の皆さん。マスコミの取材も入って一段と賑わっている。

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写真(4)は、本間直子さんの新品頒布こけし。幸兵衛型や工夫を凝らした本人型など楽しく愛らしいこけしが多数並んだ。

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写真(5)は、野地三起子さんの新品頒布こけし。由吉型各種の他、帽子を被ったマントこけしなど。中でも、みそ玉と言われる太胴の帽子こけしは圧巻であった。

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写真(6)は、高橋通、順子ご夫妻のこけし。向かって左が通作、右が順子作。

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写真(7)は、会田栄治、愛子ご夫妻のこけし。向かって左が栄治作、右が愛子作。

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写真(8)は、向かって左から、阿部進矢さんの変わり型各種、太田精二さんの由吉型、奥瀬恵介さんの各種こけし。

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写真(9)は、向かって左が西山敏彦さんの七福神入り各種えじこ、右は荒川洋一さんの善吉型小寸こけし。

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写真(10)は、向かって左から、桜井昭寛さんの全国こけし祭り最高賞受賞作、佐藤保裕さんのみちのくこけしまつり最高賞受賞作、奥瀬恵介さん4本、太田精二さん4本。

次回に続く・・・。

第806夜:友の会新年例会(2)

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1301reikai_omiyage_eihiro今夜も昨夜に続いて、東京こけし友の会新年例会の報告である。外は厳しい寒さなのに会場内は出席者の熱気で暑いくらい、入口のドアを開けたままプログラムは進んでいった。会長の年頭挨拶、招待工人お二人の紹介と挨拶、頒布こけしの解説、新品こけしの頒布と続き、平成24年度皆出席会員の表彰、抽選・入札こけしの発表からこけし界ニュースを挟んで、第二部は尺5寸を超える特大こけしの争奪ジャンケン大会で大いに盛り上がり、新年例会を無事に終了した。口絵写真はもう1本のおみやげこけし、佐藤英裕さんの4寸、こげす型。一筆目のものもあった。

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写真(2)(3)は入札こけし。今月は20本の出品があり、戦後の保存のよい佳品が多かった。左から盛秀太郎、盛秀のダルマ、奥瀬鉄則の盛秀型3本、佐藤善二の幸兵衛型2本、珍しい新山久一、初期庫治(S40年)、第1ピーク期前後の佐藤文吉3本、66歳の斉藤松治、昭和30年代の秋山一雄、珍しい阿部千世代(進矢妻)、佐藤春二の初期幸太型、井上四郎の小寸、迫力のある井上ゆき子の春二古型、佐藤喜一、渡辺義徳。

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写真(4)は抽選こけし。こちらも魅力的なこけしが揃っていた。左から「盛みつお」署名の美津雄2本、制作番号入りの奥瀬陽子2本、大沼美和子(健吾妻)、小林定雄、佐藤英太郎の木地人形、井上ゆき子、佐久間芳雄、渡辺恒彦、野地忠男5本。

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写真(5)は、皆出席者表彰の皆さんと、本間、野地の両工人(前列左)。記念こけしは長谷川優志の5寸。

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写真(6)は、恒例となったジャンケン大会の贈呈こけし。左から佐藤護、佐藤昭一、高橋武男、大沼昇治、遊佐福寿、佐藤実。他に小椋久太郎もあった。

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写真(7)(8)は、ジャンケン大会の様子。会場の熱気が伝わるようだ。これにて、平成25年の新年例会は無事終了した。

第807夜:つるし飾りとこけし

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Turushi_3banso29日から一泊で伊豆の稲取に行ってきた。稲取に着いてみると、「雛のつるし飾りまつり」が開催されていた。稲取温泉は、つるし飾り発祥の地とのことで、その謂れは以下の通りである。『桃の節句の雛段の両側に、はぎれで作ったぬいぐるみをつるす風習で、伊豆稲取温泉に江戸時代から伝えられています。「桃飾り」とも呼ばれる百十個の飾りにはそれぞれ謂れや言い伝えがあり、子の成長を願う親の深い愛情が覗える郷土の文化として今日に息づいております。』。有名な岡崎栄治郎のこけしも雛段に飾られたものであり、いずれも雛祭りと関係が深い。口絵写真はぬいぐるみの1つで三番叟と言われるもの。

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写真(2)は、まつりの会場に作られた「つりし飾り」の売り場。写真の女性が製作者で、飾り用の各種ぬいぐるみを1年間作り貯めて、このまつりの期間に売り出すのだと言う。

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写真(3)は、この店で買った「つるし飾り」を友の会の新年例会で入手したこけしと並べて飾ったところ。

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写真(4)は、稲取の宿のロビーに飾ってあった古いお雛様とつりし飾り。本来はこのような形で飾るとのこと。

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写真(5)もつりし飾りの情景。

第808夜:こけし談話会(政五郎)

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1302danwakai_masa_d_atama_2久しぶりの更新になってしまった。気が付けば節分も終わり立春も過ぎて、2月も半ばにさしかかろうとしている。さて、昨日は東京こけし友の会の「こけし談話会」があり出席したので、その報告である。テーマは南部系の藤原政五郎のこけしで、16名の出席者があった。政五郎のこけしはA型からE型までの5つに分類できるが、その全てが出品されており、なかなか注目することの少ない政五郎のこけしを詳細に鑑賞することが出来た。口絵写真はD型の頭頂部の模様を写したもの。

「こけし談話会」のフェイスブックが出来ました。ぜひ、ご覧下さい。

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写真(2)は談話会の風景。幹事である鈴木氏が手製の資料を基に、政五郎とそのこけしについて解説している。先ずは、政五郎の父である酉蔵のこけしから話は始まったが、流石に酉蔵こけしの出品は無かった。

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写真(3)は出席者に頂いた酉蔵こけしの写真。「く」字形の鼻が面白い。

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写真(4)は、木地・描彩とも政五郎のA型で、昭和10年以前の作。左端のこけしは小寸のためか下瞼が描かれていない。

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写真(5)は、A型の頭頂部。A型のみ頭頂部に黒点が描かれている。

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写真(6)もA型だが、面描のないオシャブリ型。形といい、胴のロクロ線といい、秀逸である。

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写真(7)は、木地が政五郎、描彩は新吾(政五郎の息子)であるB型。昭和10年から14年作。真ん中は第777夜で紹介したもの。

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写真(8)は、木地は政五郎、描彩は新吾を真似た政五郎のC型。昭和14年から18年作。左端の豆こけしは作者不明(面描はD型に似ている)。政五郎の描彩は前髪と鬢の様式が新吾と異なるが、左から2本目は新吾とそっくりに描いている。

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写真(9)は、昭和15年頃、長寿庵で売られたもので、木地は政五郎や常川新太郎、描彩は政五郎や小田島邦太郎と言われている。木地形態や描彩は佐々木与始郎に似ている。

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写真(10)は、以上のA~Dに属さないE型と言われるもので、高橋純逸の作である。昭和7年頃。

第809夜:慶一郎と一雄のこけし

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Kazuo_s38_kao今夜は先日の友の会の新年例会で入手した秋山一雄のこけしである。保存状態も良く、昭和30年代と思われるもので、入札での人気も高かった。一雄のこけしは昭和39年に父慶一郎が亡くなってから、戦前の慶一郎の張りのあるこけしを再現して評価も高まるのであるが、それ以前の作は父のこけしに隠れてあまり取り上げれて来なかった。ここでは、そんな一雄のこけしを慶一郎のこけしと比較して眺めてみたいと思う。口絵写真は、例会で入手した一雄こけしの表情である。

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写真(2)に昭和30年代の一雄と慶一郎のこけしを並べてみた。大きさはいずれも8寸。中央2本が一雄で両端が慶一郎である。右から2本目の一雄と左端の慶一郎については第351夜で比較解説しているが、今回左から2本目の一雄と右端の慶一郎が加わって、さらに検討を深めることが出来た。右端の慶一郎は昭和34年頃との書き込みがあり、右から2本目の一雄(昭和33年1月の書き込みあり)と制作時期は近いと思われる。慶一郎作は丸肩に黒頭の蔵王型であるが、直線的な胴の形態は相通じるものがあり、一雄が慶一郎のこけしをお手本にしていたことが覗える。さらに両者の面描をみると、湾曲が大きく小振りな眉と目、丸みの小さな鼻などに共通点を見いだせる。そこで、左の2本を見てみたい。いずれも制作時期を特定できるのような記載はないが、昭和37,8年頃のものと思われる。先ず、胴の湾曲が大きくなったのが分かる。また、面描では眉・目の描線が長くなり、鼻も大きく丸みが深くなっている。この数年で慶一郎のこけしが変化し、一雄もそれを真似て変化したものと思われる。やはり、父であり師匠である慶一郎が存命中はそのこけしを忠実に引き継いでいたことが分かる。一雄が独自性を発揮するのは慶一郎が亡くなってから後のことである。


第810夜:鉄則の盛秀古型

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Tetunori_kujira_s43_kao_3今夜も、友の会の新年例会で入手したこけしの話である。当日は盛秀の尺こけしと一緒に鉄則のこけしも出品されていた。鉄則こけしの出品は珍しい訳ではないが、中の1本は太めのくびれ胴に緑と紫のシンプルなロクロ線を巻き、湾曲の少ない鯨目の見慣れないものであった。保存状態も極美であったことから競争も多いと思われたが、最低価が高めだったせいか、入札者は他に一人しかなく、入手することが出来た。口絵写真は、そのこけしの表情である。

鉄則さんのこけし作りは、幸兵衛型から始まり、やがて師匠の型を継承することになったが、盛秀の戦前作を復元するようになったのは、そんなに古くはないようだ。須田氏の「想い出のこけし達」には、本稿のこけしと同手のこけしが載っており、その解説では『昭和43年に鉄則工人より7寸の盛秀古作の復元こけしが届きました。当時の鉄則工人は未だ盛秀翁の復元はほとんどしておりませんでした。・・・』とある。そこには、「原」こけしに関しての記述は無かったので文献を探ったところ、鹿間旧蔵の6寸2分(昭和初期)が該当するように思われた。

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写真(2)は、左が原こけし、中央が本稿のこけし、右が後年(S63年)のこけしである。本稿のこけしは大きさ6寸8分。「原」よりはやや大きいことになる。「原」と比べると頭は縦長、胴も胸の膨らみや裾にかけてのスロープはやや異なる。原物を見て忠実に作った訳ではないのであろう。表情も盛秀の泥臭い不気味な笑いには程遠い。しかし、中央に寄った眼光は異様に鋭く、後年の穏やかな鯨目に比べればその味わいははるかに深い。胴底の書き込みは「43.6」、43年6月入手ということであろうか。この43年頃の署名は「ぬるゆ 奥瀬鉄則 作」となっている。この頃の鉄則こけしはこの型に限らず胴が太いようだ。時期によっては胴のくびれが相当細いものもあるが、私はこの太胴に愛着を感じている。

第811夜:盛の入れ子こけし(戦前)

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Sakari_ireko_l_kao高橋盛の入れ子こけし(戦前)を入手することが出来た。戦前と書いたが、盛の戦後の入れ子は見たことがなく、戦前、それも秋田時代だけなのかも知れない。大正期からのこけしが残っている盛のこけしは、前期鳴子時代(戦前)、秋田時代、後期鳴子時代(戦後)に大別され、そのこけしの経年変化も各種文献でかなり詳しく報告されているが、秋田時代だけは不明な点が多く、詳細が分からない。その秋田時代の盛こけしには、胴に帯を付けたもの、もんぺこけし、そして入れ子こけしと、他の2時代には作られなかったこけしが作られている。秋田時代は昭和14年から23年までのほぼ10年。その時代がそうさせたのか、あるいは秋田という土地柄がそうさせたのか、それを語るものは無く、当時の盛のこけしからそれを想像するのみである。盛の入れ子こけしの存在は「木の花(第弐拾弐号)」に記載されており、その現品は「ひやね」で見ることが出来た(第134夜参照)。今回入手した入れ子は欠品もあり、保存状態も良くなかったが、盛の入れ子としては別種のものであり、ぜひ手元で眺め、研究したいと思っていた。口絵写真は、入手した入れ子の中では一番大きなこけしの表情である。

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写真(2)が入手した入れ子。こけしは3個で、一番大きなものは上半分だけで下半分は欠損している。一番小さなこけしも胴が2つに分かれているので、さらに小さなこけしが入っていたと思われる。「木の花」掲載の入れ子は5個構成なので、本稿の入れ子も更に大きな1体があった可能性がある。「木の花」の5体は大きい順に、特大:尺3分、大:6寸5分、中:4寸1分、小:2寸4分、特小:1寸4分(作り付)であるが、本稿のものは、特大:無、大:3寸9分(上部のみ)、中:3寸8分、小:2寸1分、特小:無。従って、残っている中、小を比べると「木の花」より小さく、5本組だったとすれば特大は尺、特小は1寸程だったと思われる。胴の汚れ具合から、胴には黄色が塗られていたものと思われる。

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写真(3)は、完品の中と小を上下に分けたところ。中は角肩の形態で、小は段のない丸肩になっている。面描は鬢が外側に描かれて顔の面積が広く、左右の眉・目も外寄りに描かれている。眼点は大きめで、小品にも拘わらず表情はすこぶる格調が高い。中の胴下半分には楓が3葉描かれているが、たちこ以外で楓が描かれるのは戦前作では珍しい。

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写真(4)は、小を中の中に収めた状態を斜め上から見たところ。中も小も胴上下の嵌め込みはしっかりしており、木地技術の素晴らしさを物語っている。

第812夜:友の会2月例会(H25年)

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1302reikai_omiyage_3一昨日は東京こけし友の会の2月例会があり、出席したのでその報告である。厳しい寒さの中、新入会の方も含めて84名という多くの方が来場された。先月に続き、今月はフランスの方の取材が入り、一段と華やかな雰囲気になっていた。おみやげこけしは遠刈田の新人、達曽部早苗さんの作り付けくびれ胴こけしで、ぼた菊と枝梅の2種類があった。ギャラリーは佐久間俊雄の小寸こけし、それぞれに合わせた手作りの箱が素晴らしい。一般頒布(新品、中古)、抽選、入札と続き、第2部は昨年横浜人形の家で行われた土湯と弥治郎のこけし展、海外向け放送でのこけし紹介、犬っこまつり(秋田県こけし展)の様子がスライドで報告された。口絵写真は、おみやげこけし2種。

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写真(2)は新品頒布こけし。左から佐藤英裕(遠刈田系)の英一型、新山実(弥治郎系)の栄五郎型(傘と坊主)、太田孝淳(土湯系)のえじこと坊主、阿保六知秀、正文親子(津軽系)の幸兵衛型、高橋輝行(鳴子系)である。

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写真(3)は鈴木征一(肘折系)の珍しい木地玩具(大砲車)。

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写真(4)は入札品。左から、盛秀太郎のずぐり(コマ)、今晃(昭和57年)、伊藤つねはる、小椋久太郎(戦前)、高橋正吾の柴田武蔵写し(柴田氏蔵品)、小林善作、佐藤文吉の2本組(坊主と髷)、小林清次郎の吉太郎型(昭和39年)、阿部常吉、七福神(作者不明)、井上ゆき子(昭和58年)、高橋佳隆、常川新太郎(戦前か)、大沼健三郎(71歳)。

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写真(5)は抽選品。左から、今晃の傘幸兵衛、同じく茂太郎型、笹森淳一、阿部平四郎の石蔵型、高橋秀雄、伊藤松三郎の古型、佐藤守正の静助型、蔦文男、井上ゆき子、荒川洋一の善吉型、高橋忠蔵、野地忠男2本。

第813夜:慶一郎のこけし(戦前)

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K1ro_s18_kao蔵王系の秋山慶一郎のこけしは好きなこけしの1つである。特に戦前のボリューム感に溢れた堂々たるこけしは何とも言えない。「ひやね」の「こけし往来」第40集に、その戦前の8寸物が出ており、店まで出かけて実物を確認し、入札に入れたが入手するには至らなかった。それとほぼ同様の尺物がヤフオクに出た。保存状態(胴の色の残り具合)はひやね物よりは良さそうだが、出品値はかなりの高額であった。そのせいか直前まで入札者は現れなかったが、結局競り合いとなり、出品値の1割増しまで上がってしまった。今夜は、その慶一郎を紹介したい。口絵写真は、その表情。

慶一郎の戦前作は1本だけ持っている。第259夜で紹介した7寸弱物で、纏めて入手した古品の中に含まれていたものである。慶一郎の戦前作で確認されているものは昭和11年以降のものと言われているが、戦前物でもその後の変化(特に表情)は大きく、それが魅力にもなっている。

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写真(2)は、右が昭和13、4年頃の作、中央が本稿のこけしで、胴底に「18.2」の書き込みがある。左は34年頃のもの。右のこけしについては第259夜で詳しく述べているが、細身で長めの胴、表情は眉・目が整い、大らかな中にも気品の漂う優品である。15年くらいまでのこのような形態、描彩が続くが、やがて肩が張り、胴は太く湾曲も少なくなる。頭も一段と角ばって、ずんぐりした形態に変わってくる。また、両鬢が中に寄ってきて、顔の面積が狭くなる。それに合わせたように眉・目も小さくなり、やや上寄りになる。18年頃のものは向かって左の鬢が右に比べて長くなっている。眉・目、鼻・口の描線は細くなるが弱い表情ではなく、下膨れで味わいのある表情となっている。戦後になると左のこけしのように、両鬢は再び外寄りになって面描も大きくなるが、戦前作との差は大きい。胴の重ね菊の描法は大きくは変わらないが、戦後作では、一番上の花弁の先が上方に跳ねて襟を思わせる描法となるのが大きな違いである。

第814夜:冬の山形旅行1(阿部進矢)

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130305_shinya_kanban3月の5日から作7日まで、山形に行って来た。目的は冬の銀山温泉と蔵王の樹氷見物。コースはあつみ温泉から銀山温泉、最後が蔵王という旅行業者の団体ツアーである。道中にこけしの産地はあるものの、団体旅行ゆえ、こけしが目的では無く、時間があれば訪問しようと考えていた。上越新幹線で新潟まで、そこから特急であつみ温泉駅、車であつみ温泉の宿に着いたのは15時過ぎ。時間があるので、温泉街に出かけて行った。雪は路肩にはかなりあるものの道の中央には殆ど残っていなかった。ここのところの気温上昇で一気に溶けたそうだ。あつみ温泉に来たのは初めて、平日ということもあってか川沿いの温泉街は閑散としている。川沿いの道から1本中に入った通りに阿部進矢さんのお店はあった。口絵写真はお店の入口の看板。

店(兼自宅)の入口の引き戸を開けるとすぐ正面に陳列棚があり、そこに各地のこけしと進矢さんのこけしが並んでいた。入口の右側には部屋があり、声をかけると中から進矢さんが出てきてくれた。

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写真(2)は正面のこけし陳列棚。右側におられるのが進矢さん。「こけし手帖625号」のサロンで田中勇氏が昨年の11月に訪問した際、入手できるこけしは無く、注文品が出来るのは5月頃と書いてあったので、こけしの期待はしていなかった。しかし陳列棚には進矢さんの新作が並んでいたので聞いてみると、前に注文を受けた方のものとのことで、今頼むとやはり5月の末頃になるとのことであった。もちろん注文をしてきた。

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写真(3)は帽子こけしなどの細工物。最近は普通の伝統こけしよりも、このような細工物の方が人気が高く、工夫をして色々なものを作っているとのこと。模様違いの帽子こけしを纏めて数10本も頼まれることもあるそうだ。

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写真(4)の中央は最近作っている常吉の古型とのこと。胴のくびれがやや大きく、瞼が丸形ではなく紡錘形なのが印象的だった。その右横のロクロ線の無い直胴は花の茎が緑色ではなく赤色なのが特徴とのことであった。

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写真(5)が阿部進矢さん。色々と説明をしてくれて楽しい時を過ごすことが出来た。進矢さんも後継者は今のところいないとのこと。まだまだお元気そうであったが、あつみこけしの将来はなかなか厳しい様子でもあった。

第815夜:冬の山形旅行2(伊豆工房)

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130306_izu_kobo山形旅行の2日目は、あつみ温泉からバスで鶴岡の山居倉庫(白壁土蔵造りの米蔵)を見学し、余目駅から陸羽西線で車窓の雪景色を楽しみながら古口駅へ。ここから雪見船にて最上川の船下り。船は周りに囲いがあり中には炬燵が用意された冬仕様船。船頭さんの軽妙なトークと山形民謡の舟歌を聞きながら、暖かい鍋料理の昼食をとる。1時間ほどの船旅を楽しんだ後、バスで銀山温泉に向かう。内陸に行くにしたがって雪の量が多くなり、道の両側には雪の壁が出来ていた。16時頃に銀山温泉着。宿は大正ロマン漂う温泉街から徒歩で5分程手前にあった。口絵写真は雪に埋まる伊豆工房。

銀山温泉に着いたのは16時頃。温泉街にガス灯が灯るまで未だ時間があるので、伊豆工房に行くことにする。宿の案内図を見ると、工房は宿から温泉街とは逆方向に暫く行ったところ。雪道を気楽な気持ちで出かけたが、なかなか着かない。10分ほど歩いてようやく「伊豆工房」の看板が見えてきたが、何と店はシャッターが閉まっている。大きな工房の周りを一周したが裏の入口には大きなワンちゃんが2頭、しっかり門番をしている。写真(2)。

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工房の中から何となく音が聞こえるので、電話をかけてみる。暫くコールした後、伊豆徹さんが出られた。こけしを見に来たことを話すと、入口を開けて中に入れてくれた。水曜日は休みなのだそうだ。店(みやげ店)の中を一通り見せて貰い色々と話を聞いていると、座敷の方へ上げてくれた。こちらには、徹さんの色々なこけしや木地製品が置かれていた。

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写真(3)は工房の座敷で、こけしを前に話をしてくれる徹さん。徹さんのこけしには普通の銀山こけしやおしんこけしの他に、特に「定雄型」と書かれたこけしも並んでいた。

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写真(4)の右3本がその定雄型のこけし。なお、左端は「こけし往来(第17集)」の表紙に掲載された「羽咋芳太郎」のこけしで、徹さんの定雄型(中央の2本)の「原」となったもの。徹さんは羽咋とあるが定雄ではないかと言っておられた。中央の2本は同じ定雄型であるが頭の形や面描・胴模様など細部がやや異なる。作った時期が違うのであろう。なお、右から2本目は桜材で、未だ作りかけのものを無理を言って完成させて頂いた(ロー引き無し)。桜材は古風な感じが好ましい。右端は「原」が別の定雄型。肩の山が高いのが特徴。いずれも凛々しい表情に惹かれた。徹さんは定雄のこけし6本を写した大判の写真を持っており、今回の定雄型もそれを元に作ったようだ。写真(5)に定雄型の署名を示す。

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伊豆工房を訪ねたのは今回が初めてで、徹さんとも初対面であったが、大変感銘を受けた。はっきり言って、今まで銀山こけしにはあまり関心が無かったのも事実。しかし、今回、徹さんにお会いし、色々とお話をして、銀山こけしを見る目が大きく変わった。定雄さんは33歳で亡くなっているため、残るこけしもあまり多くないと思われるが、もっと追究したいこけしだと思う。そして、徹さんにも古い定雄型をもっと作って頂きたいと思う。

なお、私が訪ねたのは、工房兼みやげもの店で、本店(自宅)は銀山温泉街の奥まったところにあり、徹さんも夜間は自宅に帰るのだと言う。本店ではお父さんの護さんが健在で徹さんの木地に描彩をしており、その護さんのこけしが中心に置いてある。徹さんのこけしはこちらの工房の方にある。子供の誕生記念に作る「誕生こけし」は護さんが作り出したもの、今は他の工人さんも作るようだが、身長と体重まで同じ大きさ、重さに作るのは伊豆工房のみだろう。30年間で2万本も作ったと言う。おしんこけし共々、伊豆工房の名物である。

最後に、銀山温泉の写真を2枚。

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写真(6)が有名な雪化粧した温泉街の全景。

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写真(7)は大正ロマン漂うガス灯である。

第816夜:冬の山形旅行3(蔵王)

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130307_zao_meihinkan山形旅行の3日目は蔵王の樹氷見物が目玉である。3月に入り、ここのところの気温上昇で雪解けが懸念される。また前日は強風でロープウェイが止まっていたとの情報も入った。天候はまずまず、蔵王に近づくにつれて青空も見えてきた。10時半頃に蔵王温泉に到着。麓からロープウェイを乗り継いで頂上に向かう。最初のロープウェイからは眼下に蔵王のスキー場が見えるが木々の雪は殆ど融けている。ところが2本目のロープウェイに乗り換えると景色は一変し、雪を纏った樹林が一面に広がる。10分弱で頂上駅に到着。駅の展望台からの眺めを楽しんだ後、雪面に降りる。目の前に白い雪の衣を纏ったスノーモンスターが現れる。一部白衣の下から緑の体が見えるものもあるが、まだまだしっかり樹氷の形を保っている。青空から太陽が降り注ぎ、風も殆ど無く、年に何回も無いという絶好の樹氷日和に恵まれたのはラッキーだった。樹氷の森の中に足を踏み込むとまるで別世界のようだ。スキーヤーやスノーボーダーがパウダースノーを楽しんでいた。1時間ほど樹氷の世界を楽しんだ後、麓に下る。ロープウェイ山麓駅の近くにある蔵王銘品館は岡崎幾雄さんの能登屋別館。店頭での玉こんにゃくが美味かった。口絵写真は、その銘品館。

銘品館店頭で玉こんにゃくを味わった後、店内に入る。期待しながらこけしのコーナーに向かったが、写真(2)のような状態でがっかり。

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こけしは本数も少なく、幾雄さんのこけしもあったが日に焼けて色が飛んでしまっているものもある。写真(3)はこけし部分のアップ。こけしを求めるなら、温泉街の能登屋本店の方に行くのが良いだろう。(今回は団体旅行でその時間が無く、行けなかった)

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以下に、樹氷の写真を掲げる。

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第817夜:是伸展(千葉そごう、H25年)

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130313yoshinobu_komoti_hat千葉そごうの6階催事場で咋12日より、宮城県の物産と観光展が開催され、今や常連となった鳴子の柿澤是伸さんが来られるので、今日13日、出掛けてきた。今日は一日中風が強く行き帰りの電車は大幅に遅れて通常の倍以上の時間がかかってしまった。是伸さんのコーナーは会場の入口の角で直ぐに分かったが、肝心の是伸さんが居ない。展示品を見ながら写真を撮ったりして待つこと30分ほど、ようやく是伸さんが現れた。午前中から忙しく、一段落したので昼食を食べに行ったきたとのこと。初日の昨日も遠方から来る人もいて、大賑わいだったそうだ。ここのところのこけし人気で来場者が増えているには嬉しいことだ。口絵写真は、子持ちの帽子えじこ。

以下、13日午後の時点での会場の様子を紹介しよう。既に、かなりの作品が売れてしまったとのこと。

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写真(2)、(3)は会場を左右から見たところ。

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写真(4)は会場に姿を現した是伸さん。

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写真(5)は雛こけし(上段)と伝統こけし(下段)。

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写真(6)は伝統こけし。材料は、ミズキのほかイタヤ、椿、桜など多彩である。

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写真(7)は今回特に力を入れて作ったという「ヒバ材」のこけし各種。

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写真(8)は雛こけし各種。

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写真(9)は新伝統こけし。

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写真(10)は髷こけし。

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写真(11)は帽子こけし。帽子の種類が増えたようだ。

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写真(12)は見上げこけしの大群、一斉に見上げた様は実に壮観である。

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写真(13)はドングリの帽子が愛らしいドングリこけし。

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写真(14)は各種だるま等。

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写真(15)は板絵。

第818夜:角四郎のこけし(初期)

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Kakushiro_s15_kao蔵王系の石沢角四郎のこけしは昭和15年9月に深沢要氏が訪問し、依頼されて作ったもの以降のものしか確認されていない。その深沢氏による復活最初のこけしは、「こけし辞典」に掲載されているように、十日月形の目が特徴的なものである。その後、昭和16年1月の「鴻」頒布のものでは、目が三日月形になっているから、この十日月目は昭和15年の4か月ほどの間に作られたものということになる。先日ヤフオクに古いこけしが6本ほど纏めて出品された中に、この初期角四郎と思われるこけしがあったので、紹介したい。口絵写真はその表情である。

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写真(2)の右がその初期角四郎(5寸)で、左は戦後の昭和30年代前半の角四郎(6寸1分)。初期角四郎は「こけし辞典」1本、「愛玩鼓楽」3本、「こけし加々美」2本、「山形のこけし」1本、「原郷のこけし」2本などに掲載されているので、それほど珍しいものではない。頭はおおむね縦長で、胴は細身である。頭部の描彩は手絡模様と黒頭の2種類がある。本項のこけしはそれらの特徴を備えており、まさに初期角四郎である。十日月の目は顔の中央よりやや下にあり眉との間が開いている。また眼点が中央に寄った寄り目であるため異様な雰囲気を持っている。小寸のためか、頭と胴は作り付であり、1mm程の首が見えている。頭の形は違うが、「原郷のこけし群」の(204)角四郎5寸1分とほぼ同じである。

さて、本項のこけしの最も大きな特徴は、その胴模様である。前記の初期角四郎の胴模様は全て「重ね菊」である。本項のこけしのような胴模様は見当たらない。復活期のこけしに描かれているということは、角四郎がそれ以前に作ったこけしにも描かれていたのであろうか。他の重ね菊の花弁のように細い赤線が円形に描かれ、これは菊を斜め上から見たものであろうか。そして、真ん中下には赤い楕円状の赤丸が描かれている。これは蕾なのであろうか。蕾にしては大き過ぎる気がする。また実であるとするなら、花は菊ではないのかも知れない。

第819夜:友の会3月例会(H25年)

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1303reikai_tetuo昨日は東京こけし友の会の3月例会があり、出席したのでその報告である。桜の満開時期と重なったためか、1月、2月よりやや少ない70名の方々が集まった。今月も2名の新会員の参加があった。おみやげこけしは土湯系の渡辺鉄男さんのこけし4種。新品、中古、抽選、入札こけしの頒布と続き、こけし会ニュースを挟んで、第2部は先月、東北地方で放映されたNHKのクローズアップ東北「ワタシが”こけし”に恋した訳」を鑑賞した。その後、拡大版ギャラリーとして「柿澤是伸のこけし」の話があった。口絵写真は私が入手したおみやげこけしである。

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写真(2)は渡辺鉄男さんのおみやげこけし4種である。

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写真(3)は新品頒布こけし。左から小笠原義雄(遠刈田系)、長谷川正司(山形系)、柿崎文雄(土湯系)、梅木修一・直美親子(蔵王系)の入れ子こけし、長谷川優志(津軽系)の福原英次郎型、大沼秀顕(鳴子系)の竹雄写し、阿部市五郎(木地山系)の米吉型である。

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写真(4)は竹雄の原(中央)と秀顕さんの写し。原は大正期の作とされるもので、昨年のこけし談話会で鑑賞された。その折、出席された秀顕さんに写しの作成を依頼したものである。原は竹雄にしては顔の面積が狭い。秀顕さんも通常は顔の広いこけしを作っており、今回の写しでも、写真左のように原に近いものと、右のように通常型に近いものがあった。

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写真(5)は中古頒布こけし。昭和30年代以降の保存の良いこけしが揃っており、順番が後ろの方はヤキモキされたのではないか。

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写真(6)は抽選のこけし。左から高橋佳隆、阿部平四郎、笹森淳一、佐藤昭一、石沢角四郎、野地忠男、小椋正吾、佐藤好秋、秋山一雄、阿部国敏、佐藤好一、井上はるみ(3本組)、佐藤秀一、今晃(2本)、高橋忠蔵(2本)、佐藤文吉、我妻信幸である。

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写真(7)は入札こけし。左から佐藤善二の伊太郎型、奥瀬鉄則の盛秀型、小椋久太郎の留三型、高橋定助、小林善作、小林定雄の丑蔵型、佐藤文吉(2本)、阿部常吉、斉藤源吉、井上ゆき子の春二晩年型、瀬谷重治の善吉型、高橋佳隆の忠蔵戦前型、阿部勝英である。

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写真(8)は拡大版ギャラリーで展示された高勘系のこけし。右から高橋盛、高橋盛雄、柿澤是隆の勘治型(2種)、柿澤是伸のたちこ(友の会の初頒布:平成9年9月)、平成8年作の独楽(こけし制作以前)、勘治型、普通型である。

第820夜:戦前の広三こけし

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Kozo_s18_kao今日で還暦からちょうど3年が経ったことになる。会社を退職して自由人になってからでも約1年半が経過した。自由時間は増えたものの、それなりに忙しく、また体力も徐々に低下し、身体のあちこちに不具合が生じつつある。特に腰のヘルニアから起因していると思われる右臀部から足先までの鈍痛はなかなか解消しない。困ったものである。

奥山広三のこけしは好きなこけしの1つであり、本ブログでも4回に渡って触れてきた。第237、238、314、598夜を参照。しかしこれまで戦前の広三を入手する機会がなかったが、ようやく手にすることが出来たので紹介したい。口絵写真は、その戦前広三の表情である。

「山形のこけし」に依れば、広三は大正9年からこけしを作っていたらしいが、現在知られているのは昭和14年以降のものである。主な戦前作は、昭和14年9月に復活して作った70本程と昭和17,8年に酒田の渡辺玩具店の注文で作ったものが殆どであるようだ。戦後は昭和29年に復活したが、本格的に作り出したのは昭和32年以降である。

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写真(2)右が本稿のこけしで、胴底に「奥山廣三」と「18.5.8」の書き込みがあり、渡辺玩具店の注文で作ったもののようだ。一方、写真左は昭和32年のものであり、戦後の本格的な作り始めの作である。戦前と戦後の作風の繋がりを比べるには格好の2本となった。

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写真(3)は頭部の拡大比較。頭と胴との繋がりは、右(戦前)は胴に突起(首)が付いていて、それを頭に差し込んでいて頭は動かない。左(戦後)は頭に突起(首)が付いていて、それを胴に緩く嵌め込んでいるのでキナキナのようにクラクラ動く。また面描の眉、目、鼻は細い筆で描かれるが、右は上下の瞼が平行に接近して描かれているため気品のある凛々しい表情となっているが、左では上下の瞼の間に膨らみがあるためにややおどけた雰囲気も持っている。ただ、これは戦前、戦後の違いというよりは、個々のこけしの個体差であるのかも知れない。

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写真(4)は頭部描彩の拡大比較。戦前作には右のように頭頂部の前髪後ろに赤い飾りが描かれていないものがある。

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写真(5)は胴の花模様の拡大比較。戦前作の花模様は赤い花弁が3筆で左右の2筆が長く、その中に緑点と赤点が花芯のように描かれている。ちょうど花を横から見た感じである。ところが戦後作では赤い花弁が3筆~5筆で描かれ、赤点や青点を囲むようになっている。花を上から見たようにも感じられるのである。

第821夜:大沼誓と力のこけし

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Sei_55sai_8sun_kao今日で3月も終わりである。早々と桜も咲いたのに今日はまた冬に逆戻りのような天気である。さて、第794夜で大沼誓の6寸こけしを紹介したが、同じ出品者から8寸の誓こけしが出てきた。胴底には「五十五才」の署名と「19.2」の書き込みがあり、794夜の6寸と同時に求められたものと思われる。6寸の方は誓の定寸物とはやや異なる特徴があったが、この8寸は正に誓の標準的なこけしである。今夜はその誓こけしと、誓を継いだ力の誓型のこけしを比べて紹介したいと思う。口絵写真は、19年の誓8寸の表情である。

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写真(2)は左2本が力のこけし、右2本が誓のこけしである。先ず誓のこけし(右から2本目)を見ていこう。大きさは8寸3分。頭は下膨れの蕪型、肩の山は高く、胴は直胴であるが裾にかけて広がっている。前髪は大きく、眉・目が中央に寄ったおぼこい表情は、多彩な工人が活躍した戦前の鳴子系中でも異色なこけしである。

息子の力さんはその誓型を継いでいるが、そのこけしは2種類あるようだ。1つは写真(2)左端のもので、西田コレクションの誓こけしを「原」にしたもの。昭和41年から作られている。もう1つは左から2本目のもので、表情など右から2本目の誓と良く似ているのが分かると思う。その「原」が何なのか力さんに聞いたことはないが、右の誓に近いものであったと思われる。2種類とも胴模様は、正面菊を3つ組み合わせたものであるが、左から2本目の型は下部の菊の一方が紫で描かれるので「原」もそのようになっていたものと思われる。なお、この2種類は頭の水引と鬢飾りが異なるので、それを写真(3)に示す。

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その左2本の胴模様に対して、右から2本目の胴模様は菊花の配置が上下逆になっているのが分かると思う。下部が広がった胴の形から、上に1輪、下に2輪を配した方が上手く収まっているのに、上を2輪、下を1輪にしたために、何とも窮屈な配置になってしまっている。どうしてこうなってしまったのかは分からない。ただ、この様式は戦後にも引き継がれ、流石にバランスが悪かったのか、右端のこけしのように、上2輪は小さくなり下1輪は大きくなっていった。岡崎斎によって確立された菱菊模様が鳴子系の代表的な模様となり、それが胴下部に大きな正面菊を描くことが影響したのかも知れない。

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