今日で還暦からちょうど3年が経ったことになる。会社を退職して自由人になってからでも約1年半が経過した。自由時間は増えたものの、それなりに忙しく、また体力も徐々に低下し、身体のあちこちに不具合が生じつつある。特に腰のヘルニアから起因していると思われる右臀部から足先までの鈍痛はなかなか解消しない。困ったものである。
奥山広三のこけしは好きなこけしの1つであり、本ブログでも4回に渡って触れてきた。第237、238、314、598夜を参照。しかしこれまで戦前の広三を入手する機会がなかったが、ようやく手にすることが出来たので紹介したい。口絵写真は、その戦前広三の表情である。
「山形のこけし」に依れば、広三は大正9年からこけしを作っていたらしいが、現在知られているのは昭和14年以降のものである。主な戦前作は、昭和14年9月に復活して作った70本程と昭和17,8年に酒田の渡辺玩具店の注文で作ったものが殆どであるようだ。戦後は昭和29年に復活したが、本格的に作り出したのは昭和32年以降である。
写真(2)右が本稿のこけしで、胴底に「奥山廣三」と「18.5.8」の書き込みがあり、渡辺玩具店の注文で作ったもののようだ。一方、写真左は昭和32年のものであり、戦後の本格的な作り始めの作である。戦前と戦後の作風の繋がりを比べるには格好の2本となった。
写真(3)は頭部の拡大比較。頭と胴との繋がりは、右(戦前)は胴に突起(首)が付いていて、それを頭に差し込んでいて頭は動かない。左(戦後)は頭に突起(首)が付いていて、それを胴に緩く嵌め込んでいるのでキナキナのようにクラクラ動く。また面描の眉、目、鼻は細い筆で描かれるが、右は上下の瞼が平行に接近して描かれているため気品のある凛々しい表情となっているが、左では上下の瞼の間に膨らみがあるためにややおどけた雰囲気も持っている。ただ、これは戦前、戦後の違いというよりは、個々のこけしの個体差であるのかも知れない。
写真(4)は頭部描彩の拡大比較。戦前作には右のように頭頂部の前髪後ろに赤い飾りが描かれていないものがある。
写真(5)は胴の花模様の拡大比較。戦前作の花模様は赤い花弁が3筆で左右の2筆が長く、その中に緑点と赤点が花芯のように描かれている。ちょうど花を横から見た感じである。ところが戦後作では赤い花弁が3筆~5筆で描かれ、赤点や青点を囲むようになっている。花を上から見たようにも感じられるのである。