今夜も、友の会の新年例会で入手したこけしの話である。当日は盛秀の尺こけしと一緒に鉄則のこけしも出品されていた。鉄則こけしの出品は珍しい訳ではないが、中の1本は太めのくびれ胴に緑と紫のシンプルなロクロ線を巻き、湾曲の少ない鯨目の見慣れないものであった。保存状態も極美であったことから競争も多いと思われたが、最低価が高めだったせいか、入札者は他に一人しかなく、入手することが出来た。口絵写真は、そのこけしの表情である。
鉄則さんのこけし作りは、幸兵衛型から始まり、やがて師匠の型を継承することになったが、盛秀の戦前作を復元するようになったのは、そんなに古くはないようだ。須田氏の「想い出のこけし達」には、本稿のこけしと同手のこけしが載っており、その解説では『昭和43年に鉄則工人より7寸の盛秀古作の復元こけしが届きました。当時の鉄則工人は未だ盛秀翁の復元はほとんどしておりませんでした。・・・』とある。そこには、「原」こけしに関しての記述は無かったので文献を探ったところ、鹿間旧蔵の6寸2分(昭和初期)が該当するように思われた。
写真(2)は、左が原こけし、中央が本稿のこけし、右が後年(S63年)のこけしである。本稿のこけしは大きさ6寸8分。「原」よりはやや大きいことになる。「原」と比べると頭は縦長、胴も胸の膨らみや裾にかけてのスロープはやや異なる。原物を見て忠実に作った訳ではないのであろう。表情も盛秀の泥臭い不気味な笑いには程遠い。しかし、中央に寄った眼光は異様に鋭く、後年の穏やかな鯨目に比べればその味わいははるかに深い。胴底の書き込みは「43.6」、43年6月入手ということであろうか。この43年頃の署名は「ぬるゆ 奥瀬鉄則 作」となっている。この頃の鉄則こけしはこの型に限らず胴が太いようだ。時期によっては胴のくびれが相当細いものもあるが、私はこの太胴に愛着を感じている。