今夜は先日の友の会の新年例会で入手した秋山一雄のこけしである。保存状態も良く、昭和30年代と思われるもので、入札での人気も高かった。一雄のこけしは昭和39年に父慶一郎が亡くなってから、戦前の慶一郎の張りのあるこけしを再現して評価も高まるのであるが、それ以前の作は父のこけしに隠れてあまり取り上げれて来なかった。ここでは、そんな一雄のこけしを慶一郎のこけしと比較して眺めてみたいと思う。口絵写真は、例会で入手した一雄こけしの表情である。
写真(2)に昭和30年代の一雄と慶一郎のこけしを並べてみた。大きさはいずれも8寸。中央2本が一雄で両端が慶一郎である。右から2本目の一雄と左端の慶一郎については第351夜で比較解説しているが、今回左から2本目の一雄と右端の慶一郎が加わって、さらに検討を深めることが出来た。右端の慶一郎は昭和34年頃との書き込みがあり、右から2本目の一雄(昭和33年1月の書き込みあり)と制作時期は近いと思われる。慶一郎作は丸肩に黒頭の蔵王型であるが、直線的な胴の形態は相通じるものがあり、一雄が慶一郎のこけしをお手本にしていたことが覗える。さらに両者の面描をみると、湾曲が大きく小振りな眉と目、丸みの小さな鼻などに共通点を見いだせる。そこで、左の2本を見てみたい。いずれも制作時期を特定できるのような記載はないが、昭和37,8年頃のものと思われる。先ず、胴の湾曲が大きくなったのが分かる。また、面描では眉・目の描線が長くなり、鼻も大きく丸みが深くなっている。この数年で慶一郎のこけしが変化し、一雄もそれを真似て変化したものと思われる。やはり、父であり師匠である慶一郎が存命中はそのこけしを忠実に引き継いでいたことが分かる。一雄が独自性を発揮するのは慶一郎が亡くなってから後のことである。