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Channel: こけし千夜一夜物語
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第909夜:伊豆徹さんの定雄エジコ写し

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今夜も昨夜に続いて、伊豆徹さんに作って貰った定雄エジコの写しの紹介である。「原」のエジコについては第615夜で紹介しているが、やはり一番気になったのは「独楽」かどうかという点であった。徹さんもこのようなエジコを見たのは初めてと言うことで、当初は底の蓋の部分が経年変化で盛り上がったものではないかと話していたが、よくよく見て、また回して見たりして、これは独楽としても回るように作られたものだろうという結論に至った。口絵写真は、徹作エジコの表情である。

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写真(2)に「原」(左)と徹さんの写し(右)を並べて見た。このエジコも現物は持ち帰ったので、その場で撮った写真と寸法スケッチによって作られたものである。そのため、昨夜のこけしと同様、木地形態は「原」よりやや大きく作られている。

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写真(3)は頭と胴の接続状況。共に首が長い「抜け首」でクラクラ動くが、徹作の方がかなり長い。頭は定雄作は縦長の紡錘形であるが、徹作は角張った球形となっている。頭髪は眉の上までであり鬢とは離れている。定雄の洒脱な垂れ目に対して徹の元気なパッチリ目も時代の香りを感じさせる。

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写真(4)は胴底の状態。胴は刳り貫いてあり、定雄作には中にガラが入っていて振ると音がする。このガラは首から入れたものかと思っていたら、徹さんは底が嵌め込みの蓋状になっており、そこから入れたのだと言う。徹作も同様に作ってあって、中には鈴が入れてあって振ると良い音がする。

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写真(5)は胴底を横から見たところ。定雄作は胴底の端から中心部にかけて直線的に高くなっている。徹作もほぼ同様の作りであるが、中心部に独楽の中心となる突起を作っている。ところが、この突起のおかげでエジコを回転させると、胴底の端に当たってしまって残念ながら上手く回らない。

定雄のエジコは実に手の込んだ作であることが分かった。手に持って振ると中のガラとクラクラする頭が心地良い音を奏でる。そして、下に置いて回すと、独楽のように軽やかに回る。大きな肩部には全面に赤を塗り、胴の菊模様も二つは上向きに、一つは下向きに描き、間には水の流れのような曲線を入れている。この独楽エジコが銀山温泉のおみやげとして作られることを祈って止まない。


第910夜:友の会2月例会(H26年)

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昨23日は東京こけし友の会の2月例会があったので、その報告である。まだまだ厳しい寒さの中、新入会の方も含めて75名の参加があった。おみやげこけしは南部系の佐藤忠雄さんのこけしで4種類の胴模様があった。例会ギャラリーは「銀山温泉の独楽エジコ」。新品こけしは6工人で、第一部は新品/中古品頒布、入札・抽選品の頒布。こけし界ニュースの話を挟んで、第2部は先日開催された「犬っこ祭りと秋田県こけし展」の報告がスライドを用いて行われた。最後に、色紙と寄贈こけしをジャンケン大会で配布し、盛り上がりの中終了した。なお、1月例会で禁止された写真撮影に関しては出席者の皆さんに注意事項を了承して頂いた上でOKとなった。口絵写真は佐藤忠雄さんのおみやげこけし4種。

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写真(2)が新品頒布こけし。右から平賀輝幸さん(作並系)の謙蔵型、佐藤保裕さん(遠刈田系)の本人型(第33回みちのくこけしまつり受賞作)、陳野原幸紀さん(土湯系)の和紀型小寸、小椋英二さん(木地山系)、小笠原義雄さん(遠刈田系)、高橋輝行さん(鳴子系)の古鳴子型と姫だるま。

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写真(3)は入札こけし。後列右から、佐藤喜一、今晃、小林善作、奥瀬鉄則の幸兵衛型と古型ロクロ。中列右から、二代目虎吉の傘こけし、昭和34年頃の大沼秀雄、二代目虎吉の由吉型傘こけし、佐藤文男の文助古型、二代目虎吉の傘こけし、高橋忠蔵(74歳)の戦前古型、渡辺喜平、高橋美恵子、斎藤弘道(34年9月25日作)。前列、右3本は佐藤春二で3本組で出品、左2本は菅原庄七と菊池孝太郎、こちらも2本組で出品された。

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写真(4)は抽選のこけし。後列右から、今晃、井上ゆき子、高橋忠蔵2本。中列右から、野地忠男、今晃2本、高橋通、今晃。前列右から、井上ゆき子の髷付きえじこ、野地忠男、高橋通、今晃の鉈こけし、奥瀬鉄則。

第911夜:昭二or万之丞?

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先週、ヤフオクに「・・・戦前・桜井昭二?」というタイトルで1本のこけしが出品されていた。「戦前」となっており、しかも保存もなかなか良い状態であったが、筆者以外の入札は一人のみで、4000円の最低価に対して5000円になることなく落札出来た。最近、戦前作は結構高価になる傾向があり、この価格での落札はラッキーと言えるだろう。さて、送られてきたこけしの胴底を見ると、鉛筆で「18・10・8 桜井万之丞」と鉛筆で書かれているのが読み取れた。出品者が何故「昭二?」としたかは定かではないが、「戦前の万之丞」で出品されれば、落札価も変わっていたかもしれない。このこけしが、昭二なのか万之丞なのか検証してみよう。口絵写真は昭二?の表情。

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写真(2)が問題のこけしの全体像。大きさは1尺2分。太目で反りの大きな胴に胴上部には太い鉋溝、胴下部には細い鉋溝を入れ、肩の山は大きく、その下三分の二にはウテラカシ(ザラ挽)を施している。胴には簡素な菱菊を描いている。頭は胴に比べるとやや小さめで、前髪は後部が膨らんだ形で、その横に放射状の赤い水引を描いている。前髪と鬢の間には赤2筆の小さな鬢飾りを入れている。鬢は4筆で小さめ、伏し目がちの瞳は大きめである。一般的な特徴は、戦前の万之丞の様式になっている。

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写真(3)は左が万之丞(7寸9分、昭和16年頃、「木偶相聞」掲載)、右が本項のこけし。ご覧のように非常に良く似ているのが分かると思う。木偶相聞の方はやや小さいためか胴の反りはそれほど大きくはないが、二本の鉋溝、赤と緑のロクロ線、肩の山のウテラカシ、そして胴の菱菊模様など、殆ど同一と言って良いだろう。面描は、本項のこけしが顔の面積が小さく、眉・目が真ん中寄りになっていて、やや寂しげな表情になっているが、眉の描法などは良く似ている。明らかな違いは、前髪の後ろの膨らみくらいである。

さて、本項のこけしが昭二作である可能性を考えてみよう。資料によれば、昭二は昭和14年(13歳)からこけしを作っているそうであり、「桜井昭二と第八回伝統こけし三十人展」には16年作が、「こけし辞典」には17年作が写真掲載されており、その時点で既に一人前のこけしを作っていたことが分かる。また、昭二のごく初期の作は万之丞の当時のこけしと良く似た作風であったとあるから、本項のこけしが万之丞を真似た昭二のこけしと言えなくもないだろう。

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写真(4)で第907夜で紹介した昭二の昭和22年作(左)と比べてみよう。22年作は細身ではあるが、胴の鉋溝、ロクロ線、肩の山のウテラカシなどは同一である。胴模様も、個々のパーツを比べてみればそれほど違いは見られない。

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写真(5)で頭部の描彩を比べてみた。前髪の後ろが膨らんでいる点などは良く似ている。18年と22年という4年ほどの違いであるが、戦前と戦後ということであれば、目が大きくなり、水引が華やかになる程度の変化は十分考えられる。本項のこけしが昭二の戦前作という可能性も捨てきれないであろう。

第912夜:酒井正進と安藤良弘

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ここのところ毎週、ヤフオクに橘コレクションの古品が出品されている。保存状態は良くないものの、これらのこけしには昭和1桁代のものも含まれ、また「こけし談叢」「こけし作者」の掲載品という素性の確かさもあって毎回出品作を楽しみしている。なかでもここでしか見られないこけしは資料としても貴重である。今回、「こけし談叢」に載っている酒井正進(実際には安藤良弘)の面白いこけしが出ていたので、入手した。今夜は、そのこけしの話をしよう。口絵写真はその正進こけしの表情である。

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写真(2)に問題のこけしを示す。右の2本が今回入手したこけしである。真ん中は「こけし談叢」百九十四丁に写真掲載の3本の内中央の現品。左はその「こけし談叢」の写真である。談叢では、岩本芳蔵となっており、『肌の細かい豊かな頬、狭い額に打たれた赤い小さな三つ宛の点、笑いかけるいる様な三日月型の眼、厚くて小さい唇、内気で色気たっぷりな娘さんといった感じである。胴は珍らしい紫の花、それに緑の葉を配して、まるで派手な友禅の晴着である。』と解説されている。本項のこけしでは、残念ながら退色のため、紫の花と緑の葉は墨の輪郭のみ残して消えてしまっている。右のこけしは談叢掲載品ではないが、同手のこけしの1本と思われる。

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写真(3)は上記右2本のこけしの胴底に張られたラベルである。談叢のこけし(左)のラベルには「中の沢 1934.11 野々垣氏より 酒井正進」とある。また右のこけしラベルには「中の沢 1935.3 酒井正進(岩本芳蔵を訂正)」とある。いずれも当時は酒井正進のこけしで通っていたことが分かる。ところで、「こけし辞典」では、談叢のこけしは、安藤良弘(福島県立工芸試験場の技師)の描彩によるもので木地は岩本芳蔵とある。そして、安藤良弘は酒井正進や本田信夫のこけしの描彩を指導し、正進のこけしとして流布しているもののうちには、良弘の描彩によるものがあるのではないか、とも書かれている。上記右のこけしなどがそれに当たるのであろう。

さて、この2本のこけしは安藤良弘が作った見本のこけしと考えられるが、談叢の写真からでは分からなかった点も見つかった。頭頂部と鬢の様式である。

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写真(4)は両者の側頭部を斜め上から眺めたものである。頭頂部には両者とも赤で桔梗と思しき文様が描かれている。鬢は後に丸く湾曲しており、左の談叢のこけしでは、この鬢の中にも桔梗模様が描かれている。この2本の細部を比べると、頭頂部の緑のロクロ線が左は黒い蛇の目の内側に1本だけであるが、右では蛇の目の内と外に2本描かれている。また、左にあった赤3点の額飾りが右では無くなり、前髪の様式も異なる。鼻と口の描法も異なる。

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写真(5)に、正進のこけしと並べてみた。右から2本目は昭和10年頃の正進(第274夜参照)、右端は13年の正進こけし。真ん中2本の桔梗模様を比べて頂きた。殆ど同じであることが分かると思う。正進の胴模様は良弘のものをそのまま使ったことが分かる。前髪、眉、三日月目も殆ど同じ様式と言える。

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写真(6)(7)は頭頂部の蛇の目と鬢である。流石にこの2点については良弘の様式を流用していない。しかし右から2本目の蛇の目は緑のロクロ線が2本残っており、共通点も覗われる。鬢については全く違う。安藤良弘の見本から出発して、芳蔵本人型なども参考にして徐々に変わっていったのが分かる。

第913夜:忠のこけし(3)

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3本目の秋山忠のこけしを入手したので紹介したい。1尺2寸という大きさは、胴の太い鳴子系のこけしではかなりのボリュームとなり、保管スペースに窮している身では一旦躊躇したものの、保存状態も良く、とりあえずコレクションに加えたものである。秋山忠のこけしは戦前の昭和14、5年頃には鳴子では大沼竹雄や後藤希三などと共に良く見られたものと言われているが、今となってみれば目にする機会はそれほど多くはない。以前紹介した忠こけしとの比較と言う観点からも見てみたいと思う。口絵写真はその忠こけしの表情である。

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写真(2)が今回入手した忠こけしである。大きさは1尺1寸7分。胴底に「鳴子 秋山忠 昭和19.2」との書き込みがある。均整のとれた形態で、胴下部に鉋溝が1本入っている。保存状態は良く、ピンクがかった赤と緑のロクロ線ははっきり残り、胴には一面黄色が薄く塗ってある。前髪と鬢に囲まれた顔の面積は小さく下膨れ気味であるが、眉・目の描線は細く鋭く、気品がある。

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写真(3)は以前に入手した忠こけし(第566夜参照、昭和13年頃)と並べて見たところ。鉋溝の位置が異なるが、菱菊の胴模様はほぼ同じようである。但し、胴の赤・緑のロクロ線を比べてみても、全体的に描線が細くなっているのが分かる。

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写真(4)(5)で顔の表情と頭部を比べて見た。右のこけしでは、顔の各パーツ、前髪、水引、鬢、眉・目、鼻・口が太い筆致で大振りに描かれている。特に、眉と目は鋭角的に描かれ、アクセントも付いており、それが忠こけしの特徴の一つともなっている。一方、左のこけしでは筆も細く、筆致も滑らかになっている。右の幼女が年頃の乙女に成長したような感じで、整って大人びた表情に変わってきたと言えよう。もっとも、これは忠こけしに限ったことではなく、大沼希三や健三郎を見ても、初期の大胆な描彩が第一次こけしブームの中で、所謂綺麗なこけしに変わっていったのと同様の現象であろう。各工人毎に特色のあった鳴子こけしが同じようなこけしに変わっていったのは残念なことである。

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写真(6)で手元にある3本の忠こけしを並べていた。大きさも製作時期も異なる3本が上手い具合にまとまってくれた。忠こけしの昭和10年代の前半、中頃、後半の各時期の特徴が良く分かり、なかなか良い群像となった。入手し難い戦前のこけしであっても、やはり1本より数本を並べて眺めてみるのは楽しいことである。

第914夜:弘道の微笑み(S33~34年概観)

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3月になって一週間が経ったが、今年は春の訪れが遅いようだ。とは言え、こけし界も雛祭りが終わり、本格的なシーズンを迎える。2月の友の会例会で、斎藤弘道の34年作太子型を入手した。弘道のこけしと言えば先ずは33年~34年作が代表作としてあげられる。我がこけし収集の起点の1つでもある太治郎型・弘道のこけし、特に33、34年作は機会があれば入手してきた。今回は太子型ではあるが、34年9月作。これで34年作をほぼ網羅できるようになったので、改めて現在ある33年、34年の弘道こけしを眺めてみた。口絵写真は、友の会入手の弘道太子型こけしの表情である。

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写真(2)が今回入手の弘道、太子型6寸。胴底には「福島土湯 斎藤弘道 昭和34年9月25日」の署名がある。例会会場で一見した時には、頭にある34年の弘道とはやや異なる印象を受けたものである。34年作と言うと、溌剌とした健康的な微笑みが特徴なのであるが、やや甘いかなという感じである。頭頂部の黒蛇の目から面描全体がやや下がり、眉・目の位置が真ん中に寄っていること、二重瞼の湾曲が少なく、水平に近いこと、鼻が小さくなったことなどが、その要因かと思われる。

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今日は気温は低いようだが太陽がさんさんと降り注ぎ、南側の部屋は温室のように暖かである。そこで、手元にある33年、34年作を出してきて並べてみた。全部で10本である。太治郎型は保存が良いことが条件と考えているので、右2本以外は状態の良いこけしが揃っている。本ブログを始めた2006年の時点では、33年作が1本あるのみであったから、それから8年足らずで何とかここまで増やすことが出来た。こうして改めて眺めてみると感無量である。ここに並べたこけしから見ると、33年10月(右から3本目)から34年6月(左から3本目)あたりまでのものが、ピーク期にあたるのではないかと思われる。

写真(3)右から、①太子型5寸8分「福島土湯 三代目太治郎 斎藤弘道作 昭和33年6月21日」、②本型6寸9分「福島土湯 太治郎孫 斎藤弘道作 昭和33年6月30日」、③古型1尺3分「福島土湯 斎藤弘道作 昭和33年10月25日」、④太子型5寸9分「福島土湯温泉 斎藤弘道作 昭和34年2月6日」、⑤本型1尺「福島土湯 斎藤弘道作 昭和34年2月6日」、⑥古型8寸1分「福島土湯 斎藤弘道作 昭和34年2月10日」、⑦古型1尺「署名なし」34年3月~5月頃か、⑧古型8寸「福島土湯 斎藤弘道作 昭和34年6月1日、⑨太子型6寸「福島土湯 斎藤弘道作 昭和34年9月25日」、⑩古型8寸「福島土湯 斎藤弘道作 昭和34年11月13日」。

第915夜:「こけし辞典」のこけし(伊豆護)

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今日は日差しが暖かく気温も上昇して、すっかり春らしい気候となった。そんな雰囲気につられて隣の駅にある税務署まで確定申告書を提出しに行った。最近はパソコンで申告書を作成できるようになり確定申告も随分と楽になった。一年振りに行った隣駅には「とろけるくりーむパン」で有名な広島八天堂の売店が出来ており、帰りに4種類(カスタード、生クリーム、小倉、チョコレート)のパンを買って帰って来た。さて、最近は古品から新品まで沢山のこけしがヤフオクに出品されており、古品とか人気工人作や定評のあるこけしはそれなりに高価になっている。しかし、じっくり探して見ると思わぬ掘り出し物が安価に出ており、しかも殆ど争うこともなく入手できることもある。こういうこけしを探すのもこけし収集の楽しみである。今夜は、そんなこけしで最近入手した伊豆護さんのこけしを紹介しよう。口絵写真は護こけしの表情である。

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写真(2)がそのこけしである。2本一組で出品されており、競争者はおらず1500円で入手できた。左8寸8分で右は7寸、保存状態はほぼ完璧である。良く見慣れている護さんのこけしと比べると古風な雰囲気を漂わせている。そして何処かで見たような気がした。それは「こけし辞典」であった。「こけし辞典」には6寸(S36.10)と8寸(S42.1)の写真が載っており、8寸のこけしが胴模様も含めて同じである。写真(2)では右7寸がロー引きが無く、胴底に署名と「42.1作」の書き込みがあり、「こけし辞典」の8寸と同時期の作と思われる。8寸8分の方は、肩の山の盛り上がりも大きくなって、もう少し後の作ではなかろうか。

伊豆護さんのこけし製作については、「こけし手帖38号」で西田峯吉氏が解説されている。それによると、銀山こけしは、初代の伊豆定雄が昭和13年に没してから廃絶状態にあったが、34年の12月に西田氏としばたはじめ氏が護さんにこけしの復活を奨め、35年1月から作り始めたとある。その復活初期のこけしは本項のこけしと同様の胴模様であるが、肩の山が低いのが特徴である。その後は37年5月の友の会旅行の時に作り、その写真が、こけし手帖42号の大石氏の記事『復活した銀山こけし』に載っている。このあたりが初期の護こけしと言えるのであろう。

第916夜:「こけし辞典」のこけし(阿保六知秀)

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コレクションとは物を集めることなので、どうしても費用が発生する。趣味で集めることが多いので、資金に余裕のある人は別として、大抵は小遣い銭で求めることが多いだろう。限られた資金で如何に良いこけしを集めるかも腕の見せ所である。基本は好きなこけしを求めることであるが、何か手引きになるものがあると心強い。定評のある文献に載っているこけしは、それなりの基準で選定されており、良いものが多く載っている。「こけし辞典」もその1つであり、大いに参考になる。そこで、今夜も、「こけし辞典」に掲載されているこけしで、最近入手したものを紹介したい。阿保六知秀さんのこけしである。このこけしも2本一組でヤフオクに出品されていた。大小2本で、特に小こけしの目尻の釣り上った表情にピンときた。阿保さんのこけしは好きなこけしで前から注目しており、「こけし辞典」もよく眺めていたから、この目尻の上がったこけしは良く覚えていた。しかし沢山は作らなかったのか、この手のこけしを目にする機会はこれまで無かった。先ずは手元に置いておきたいこけしだったので入手できて良かった。口絵写真は、その小こけしの表情である。

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写真(2)がそのこけしである。左8寸、右6寸。描きたてのような保存の良さである。前所有者は大切に保管していたのであろう。この2本もヤフオクでの競争者は一人しか現れず、最低価に少し上乗せした1610円で入手できた。左は、師匠の佐藤善二が得意とした観音こけしで、右は伊太郎型である。共に面描の太い筆致が心地良い。未だ筆慣れしていない感じだが、初々しい真面目な筆使いが見て取れて好感が持てる。特に、伊太郎型の左目の目尻の釣り上りが愛らしく素晴らしい。

「こけし辞典」には、6寸伊太郎型(S43)と6寸観音こけし(S44.12)が写真掲載されている。阿保さんは、昭和41年4月から佐藤善二の弟子となり木地修業を始め、こけしも作った。伊太郎型は43年2月に鹿間時夫氏の依頼で作ったとある。また、幸兵衛型(実際には観音こけし)は44年4月から製作とある。本項の観音こけしは44年5月頃のもの、伊太郎型は43年作であろうか。安価に良いこけしを入手でき、収集家冥利に尽きるものである。


第917夜:天野正右衛門のこけし(2)

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今年第一級の寒波も去り、ようやく春に向けた歩みが始まったようだ。ヤフオクの橘コレクションの出品に天野正右衛門のこけしがあったので紹介しよう。正右衛門は昭和4年から7年まで東根で木地業を開業し、こけしも作ったとされ、その当時かと言われるこけしが「山形のこけし」に載っているが、本格的に作ったのは昭和14年、秀島氏の依頼で復活してからである。戦前は14年から17年頃まで作り、戦後は34年以降に岡崎家の木地に描彩のみ行ったとされる。更に、高梨コレクションには20年代初め頃の作品も残っている。本項のこけしは、その20年代初期のものと思われる。口絵写真はその表情である。

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写真(2)がそのこけしである。大きさは4寸6分で、頭は作り付けである。横広の角ばった平頭は、高梨コレクションのこけしと良く似ているが、肩の山の角張った形態は異なる。細身のすっきりした胴と小さめの頭は古鳴子の雰囲気を漂わせている。鬢寄りに左右に離れて描かれた眉・目は昭和初期かと言われるこけしに近い。小寸用の簡潔な前髪も珍しい。正右衛門の胴模様は、菊(菱菊、重ね菊)と楓が殆どで、それに高梨コレクションのろくろ線模様が知られているが、本項のこけしは牡丹模様のようであり、これも類例を知らない。手慣れた描法であり、牡丹模様も結構描いたことを伺わせる。胴と肩の山のロクロ線は赤と紫で引かれており、茎と葉は緑のポスターカラーで描かれているようである。

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写真(3)に34年以降の天正こけし(右)と並べて見た。別人の木地形態は当然として、描彩の差もかなり大きいことが分かると思う。

第918夜:千葉そごうの是伸展

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昨19日(水)より、千葉そごうで「第22回宮城県の物産と観光展」が始まり、今や恒例となった鳴子の柿澤是伸さんがやってきた。会場は千葉そごうの6階催事場でいつもと同じ、エスカレータ脇のスペースである。初日午前中の混雑を避け15時頃に会場を訪れたが、会場には絶えずお客さんが来て、是伸さんは対応に忙しそうなので、勝手に写真を撮らせて貰った。開催半日で展示品はかなり減っており、週末の3連休を含め25日まで、品物が持つかどうか心配なほどである。「高勘」の伝統的なこけしから、アイデア溢れる木地製品まで華やかな是伸ワールドが展開されている。今夜は、その出展作を紹介しよう。口絵写真は、5月人形の鯉車に乗った伊達正宗である。

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先ずは、会場をバックに是伸さん。

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こちらは、会場の全景。お客の対応をする是伸さん。

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後列勘治型こけし(中央2本)、前列は水玉模様の佐々木久作型。

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これは第577夜で紹介した盛こけしの是伸さんによる写し。木地形態、凛々しい表情、ざっくり描いた胴模様など、「原」の雰囲気を見事に再現してくれた。

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「美と系譜」に掲載されている、けさの型。

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これは、秋田時代の盛型。

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是伸さんのこし製作20周年を記念して作った20cmこけし各種。30種類以上あるとのこと。

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次は帽子を被ったえじことねまりこ。

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これは、子持ちの帽子ねまりこ。

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そして、これは是伸さんの息子さんが拾ってきたドングリ帽子被り。是伸さんの専売特許だ!

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これは、独楽を回して遊ぶ木地玩具のドンコロ。

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次は、内裏雛が中に入っているエジコ。

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そして、これは胴が肩の部分と裾の部分で分かれるようになっており、中に小物が入る。

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また、こちらは愛らしい見上げこけし。

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是隆さんの作品も並んでいた。下段、中央のダルマ落としは是伸作。

第919夜:樋渡治一のこけし

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今夜は樋渡治一のこけしである。木地山系に分類されているものの従来あまり注目を浴びず、どちらかと言うと不遇をかこったこけしの1つであった。ところが、昨今の第3次こけしブームでは一躍脚光を浴び、治一型のラグビーこけしは人気のこけしとなっている。今の時勢にあっているこけしと言えるのであろう。このこけしがヤフオクの橘コレクションに出てきたので、入手したものである。口絵写真はその表情。

樋渡治一は、明治39年、川連久保の生まれ。大正8年川連小学校卒業後、高橋兵治郎の弟子となって木地修業を始めた。治一は描彩を行わないため、昭和7年、弟の大類連次が描彩して治一名義のこけしを作った。翌8年から連次が不在となったため、樋渡辰治郎が描彩を行ったとされる。治一は昭和13年で製作を中止し、以後作らず43年3月27日に63歳で亡くなった。

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写真(2)が本項のこけしで、大きさは8寸6分。「こけしと作者」の第六十八図(166頁)の左端に掲載されているこけしの現品である。その解説を引用しよう。『樋渡治一は30余の青年木地師であるが彩色が出来ない。時によると、とてつもないこけしを送って来る。これも木地山系造付けを作るが頭が平たく、胴のロクロ模様が、赤と黒の太いダンダラで力強い感じを出しているのは珍とするに足る。私の愛蔵しているこけしは昭和7年の作で、頭の形と二重瞼の出来が殊にいい、私の家族はこれにラグビーこけしの別名を付けている。』 この記述から、「ラグビーこけし」の名称が付いたのであろう。また、本項のこけしが橘氏愛蔵の昭和7年のものと思っていたが、他の文献を見ると、この手の治一こけしは昭和10年となっているものが多い。

治一こけしは文献でもあまり解説されていないが、鹿間時夫氏の「こけし鑑賞」と「木の花(第弐拾八号)」の宮藤就二の『雑系こけしの魅力(7)…樋渡治一』に詳しい。それらによると、治一のこけしは木地形態・描彩の違いから3タイプに分かれるようだ。描彩面から見れば、連次描彩と辰治郎描彩。本項のこけしは辰治郎描彩で、比較的良く見られる型のようだ。前髪、鬢、ツン毛は太く短く、ぼってりと描かれている。眉と二重の上瞼の下側は太く描かれ、上瞼の上側と下瞼は細く描かれている。丸い眼点は大きめであるが茫洋とした表情である。特徴の1つである胴の太いロクロ線は、文献では赤と黒の2色のように書かれているが、胴下部の下から2番目はその上下の赤色とは明らかに色調が異なり、紫色であろう。胴最上部のロクロ線も赤のように見えるが紫かも知れない。単調なロクロ線ではあるが、上部の3本は赤(紫)、黒、赤をくっつけて描いているのに対し、下部の4本は黒、赤、紫、赤を間を開けて描いており、変化を与えている。

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写真(3)は治一こけしの頭頂部と橘コレクションのラベルである。本項のこけしが作られた昭和10年頃は治一が最もこけしを作った時期で、形も安定し、描彩も手慣れてものになったと思われる。

第920夜:友の会3月例会(H26年) 

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今日は、東京こけし友の会の3月例会があったので、その報告である。もうすっかり春めいた気候の中、今月も70名を越える出席があった。おみやげこけしは、弥治郎系の長老、新山左京さんのこけし5種。異なる型を上手く作り分けている。例会ギャラリーは、「新山栄五郎と栄助のこけし」で、小寸から大寸まで12本の作品が並んだ。中古品は保存の良いものが多く、入札品17個、抽選品は30個ほどが並んでいた。こけし界ニュースを挟んで、第二部は、最近のこけしブームを牽引する若手工人の話と、遠刈田の佐藤哲郎さんの話がビデオ映像を使って上映された。口絵写真は、左京さんのおみやげこけし。

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今月の新品こけし。左から、阿保六知秀さんの幸兵衛型6寸、鳴子の佐藤賀宏さんの子持ち雪だるま、佐藤一夫さん6寸、蔵王系白鳥保子さん(石山和夫さん弟子)の和夫型と地蔵型4寸、作田孝一さんの髷6寸、長谷川正司さんの吉太郎型帯入り6寸、鈴木征一さんの伊之助型大砲車。

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今月の中古こけし。

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今月の入札こけし。後列左から、佐藤春二の今三郎型(S43)、高橋忠蔵の古型(74歳)、二代目虎吉の由吉型、斎藤源吉の松治型、奥瀬鉄則、佐藤誠次、小林善作、大沼誓(70歳)。前列左から、佐藤春二2本組、煤孫茂吉か(S20)、高橋忠蔵の古型(73歳)、二代目虎吉の由吉型一筆目、同虎吉型傘、奥瀬鉄則、佐藤英裕(16歳)、菅原庄七3本組、菊池孝太郎と佐藤丑蔵の2本組。

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今月の抽選こけし。奥瀬鉄則、佐藤春二、伊藤松三郎、井上ゆき子、今晃、佐藤善二、佐藤巳之助、瀬谷重治、高橋通、高橋佳隆、高橋順子、佐藤英太郎、高橋忠蔵、野地忠男、佐久間福松、菅原庄七、佐藤文吉、鈴木幸之助。

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例会ギャラりーの様子。

第921夜:「弁慶」とは…?

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東京地方もようやく桜の開花が宣言され、一気に春を迎えることとなった。そして筆者も昨日、一つ年を重ね、高齢者まであと一年となった。本ブログを始めてから7年半、自由人となって2年半、自由人となってからは、こけしに関する活動が生活の中心となっている。こけしのコレクションは保存場所など、家族の協力が必要であり、また自身が粗大ゴミにならないためにもと思って、朝食を作る担当を務めることにした。こちらも、そろそろ1年を迎えることになる。料理の出来は想像に難くないが、毎朝、自分の好きな物を食べられるというメリットは大きい(笑)。

さて、前置きはこのくらいにして、皆さんは「弁慶」という木地玩具をご存知だろうか。そう言う筆者も、それを知ったのはつい最近で、こけし手帖604号の記事を読んだからである。それから興味を持ってネットオークションを眺めていると、時々それが出品されているのを見つけた。結構高価であり、保存状態との兼ね合いでなかなか入手出来なかったが、ようやく手に入ったので、紹介しようと思う。口絵写真は、その弁慶の表情である。

こけし手帖604号には、高橋五郎氏が『木地玩具の「七福神」と「マトリョーシカ」』と題して一文を寄せている。その中の、『追記・求め続けた「弁慶」』の項で解説されている。それを要約すると、遠刈田の佐藤友晴著『蔵王東麓の木地業とこけし』の中に「弁慶」という木地玩具の名称があり、それは「七福神」の2倍以上の価格であった。しかし、それがどのようなものであるかは確認できなかった。五郎氏が「弁慶」と思われる木地玩具を確認したのは平成18年9月のこと。それは入れ子の玩具で、歌舞伎の弁慶の勧進帳の一場面を表現したものであった。入れ子の木地技術は勿論のこと、その描彩は裏側まで緻密に描かれており、作り手の技術の高さに驚かされたとある。写真も掲載されており、そこには入れ子の内5体が表と裏の両面から示されている。

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この手帖掲載の「弁慶」に良く似たものが今回紹介するものである。入れ子は7体となっており、手帖の弁慶も実際は7体あったものと思われる。大きさは一番大きなものが13.5cm、一番小さなものが1.7cmである。こうして7体を並べて見ると、一番大きな左端の1体だけ色が茶色になっているのがはっきり分かる。これが長い年月の間に付いた古色である。作られた当初は、右6体と同様の鮮やかな色彩を纏っていたのであろう。

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左の大きい2体は縦長で変化のある形態であるが、右5体はほぼ円形の同じような形態で大きさのみ異なっている。多色を使った鮮やかな色彩と緻密な筆使いを見て頂きたい。

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入れ子の状態が分かるように7体を並べて見た。木地技術の確かさを見て頂きたい。1体だけ底に穴が空いているが、他は作った当時の状態を保っており、上下の嵌め込みもしっかりしている。

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胴底の状態はこんな感じ。左の大きい2体は底にロクロの四つ爪が残っている。それより小さな5体は、切り離しである。

手帖掲載の弁慶は遠刈田で作られたものと思われるが、七福神や弁慶などの入れ子製品も、もともとは木地玩具の先進地である小田原や箱根で作られたものであり、それらが東北地方に持ち込まれて、それを手本にして作られるようになったのであろう。従って、本項の弁慶も、小田原・箱根で作られたものか、遠刈田等の東北で作られたものかは定かではない。

第922夜:大葉亀之進のこけし(戦前)

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今日は春を越して初夏を思わせるような気候で、東京・横浜周辺の桜も一斉に開花が進んだようだ。満開も間近と思われるが、明日は天候が荒れるようで少し心配ではある。さて、久しぶりに衣装室を整理していて1本のこけしを見つけた。大葉亀之進の戦前のこけしである。以前、本ブログに掲載するつもりでいたが、そのままになっていたものである。口絵写真はその表情である。

大葉亀之進は明治37年、七ヶ宿町稲子の生まれ。大正7年と8年、稲子で開催された木地講習会で佐藤松之進の弟子となり木地講習を受けた。こけしはその当時から作っていたが、間もなく木地業を止め、農業と山仕事に戻った。昭和16年、菅野氏の勧めで一時的に復活し、17年までに100本ほど作ったと言う。戦後は33年に復活し、以後はこけし製作を続け、平成11年7月9日、96歳で逝去した。

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写真(2)(3)に本項の亀之進こけしを示す。大きさは9寸7分。胴底に、「昭和17年10月」の書込みがあり、戦前16、17年の復活時に作ったこけしと思われる。肩の張った細身の胴に角張った大きな頭は師匠松之進譲りの剛直性を示している。小さな襟の付いた三段の重ね菊は大振りで豪快である。頭頂部からバッサリ描き下ろした3筆の大きな前髪、大きな眉、眼点の大きな一重の眼は穏やかながら明敏な表情を醸し出している。

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写真(4)の左は戦後の再復活期のこけし。肩もなで肩となり、形態もおとなしくなった。前髪は三筆ではあるが小振りとなっている。目は細くなり、穏やかなこけしである。その後は面描、胴模様ともますます繊細が増し、松之進の剛直さとは別の趣のこけしになっていくのである。

第923夜:橘小物(大沼竹雄)

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昨2日は花見に出かけてきた。午後から天気が下り坂との予報があり、満開の見納めかと思ったからである。新橋から愛宕神社の急坂を登って鯉が群れる池に散る桜吹雪を眺め、新宿御苑では満開のソメイヨシノや枝垂桜を満喫し、椿山荘下の神田川沿いの桜並木を散策して、最後は椿山荘でのお花見ブッフェに舌鼓を打った。幸い雨に降られることも無くお花見の1日を満喫することが出来た。これも自由人ならではの特権であろう。帰宅すると、橘コレクションの小物が届いていたので、今日はその中から大沼竹雄の紹介である。口絵写真は、その表情。

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昨日の桜の写真を1枚だけ紹介。新宿御苑の池に垂れる満開のソメイヨシノである。後方のタワービルとのコントラストが面白い。

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写真(2)が本項のこけし。大きさは3寸で、頭は嵌め込みで回すことが出来る。見慣れない胴模様に惹かれて入手。こけし手帖623号の談話会覚書に大沼竹雄が特集されているが、それを見ると掲載写真④の立ち子(植木氏蔵)に顔が似ている。また、これと同時期の写真③のこけしについては次のように解説されている。「写真③も6寸5分、全体に細身である。竹雄の中寸、小寸ではこうしたバランスのこけしが散見される。・・・。胴模様は重ね菊である。たっぷりとした筆致で描かれているようで、いわゆる楷書体時代の線の細い一風変わった菊模様とはかなり異なる。」と。製作時期は昭和5年頃とされている。

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写真(3)左は昭和14,5年、楷書体時代の通信こけしである。小寸物とは言え、こうして比べてみると、こけし手帖での解説で言わんとしていることが良く分かるのである。細身の胴と重ね菊の様式を比べて頂きたい。特に重ね菊の花弁はぼってりと描かれており、また中央部の花芯は2筆で紡錘形に囲んだ中に赤点を1点打ち込んでいて、左の十字形の花芯とは明らかに異なっている。三段の重ね菊の真ん中が胴中央よりやや下方に描かれているのは気にかかるが・・・。

第924夜:橘小物(鈴木安太郎)

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暫く前から、本ブログのアクセス・カウンタが表示されなくなり、アクセス数が分からなくなっていたが、ようやく回復して表示されるようになった。さて、先日のヤフオクには小物が多数出品されており数本を入手したが、今夜は鈴木安太郎のこけしである。安太郎は戦前より、豆こけしか大寸物まで色々な大きさのこけしを作っており、大きさによる雰囲気の違いも楽しめる。口絵写真はそのこけしである。

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写真(2)本項のこけしである。大きさは1寸3分、作り付けで胴裾がやや窄まっている。ヤフオクの出品写真では良く分からなかったが、顔には大きな凹み傷が数本入っている。

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さて、安太郎の小寸物と言うと写真(3)左のこけしのように、大寸物のミニチュアのような形・描彩をしたものが多いが、本項のこけしは、大寸こけしの胴の上部ロクロ線の部分から上を切り離したような形態である。胴部のロクロ線は緑線と赤線を交互に引いたものであるが、赤線は水濡れでぼやけてしまっている。横長の頭の形、顔の表情は初期(昭和14年頃)のもものように感じられる。

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写真(4)は頭部の描彩である。豆こけしのためか、頭頂部の前髪の後ろの1本の黒髪は描かれていないが、頭頂部の赤いカセは左のこけしと違って、一番外側の1本が左右に丸く大きく伸びて描かれている。小さいながらもキリッとした表情のこけしである。

第925夜:こけしとえじこのセット

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こけしは1本でも群像で眺めても楽しいものであるが、2本ペアで見てみるのも面白い。特に、こけしとエジコ(ねまりこ)というペアは対照的で趣がある。この場合、エジコは横に大きいので、なるべく小さなものの方が纏まり易い。今夜は、そんな豆こけしとエジコのペアを紹介しようと思う。口絵写真は、佐藤春二の豆エジコである。

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写真(2)は佐藤春二のセット。豆こけしは大きさ2寸6分、豆エジコは高さ・径ともに1寸。エジコは中の胴、頭がそれぞれ回転するようになった凝った作りである。眠った表情のエジコが何とも愛らしい。

東京こけし友の会では、昭和60年6月より、シリーズで2寸こけしとエジコのセットを頒布した。以下、それらの内、入手できたものを紹介しよう。

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写真(3)は小林清で昭和60年6月。豆こけしは大きさ2寸、豆エジコは高さ・径ともに1寸で頭は作り付け。清さんの小物・細工物は定評のあるところ。このセットも実に上手く纏めている。

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写真(4)は伊豆徹で60年7月。豆エジコは高さ1寸2分、径1寸。頭は抜け首になっていてクラクラと動く。大輪の正面菊が良く似合っている。

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写真(5)は里見正博で60年10月。豆エジコは高さ1寸2分、径1寸3分で頭は差し込み。

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写真(6)は田中恵治で61年1月。豆エジコは高さ1寸5分、径1寸2分で頭は作り付け。

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写真(7)は岸正規で同じく61年1月。豆ねまりこは高さ1寸4分、径1寸1分。頭はこけし、ねまりことも嵌めこみである。

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写真(8)は坂下隆男で61年10月。豆エジコは高さ・径とも1寸4分。頭はこけし、エジコともクラクラ動く嵌めこみである。

第926夜:春二の子持ちこけし

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昨夜は佐藤春二の豆こけしとエジコを紹介したが、今夜は春二の子持ちこけしを紹介しよう。春二は優れた木地技術から各種の細工物も作っている。子持ち・孫持ちなど、入れ子のこけしは多くの工人が作っているが、春二の子持ちは親こけしがドテラを着ていかにも母親らしく、また子こけしは眠り目で頭がまわり何とも愛らしい。この子持ちこけしは弟子の井上四郎・ゆき子からはるみへと引き継がれている。口絵写真は子のこけし。

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写真(2)に春二の子持ちこけしを示す。大きさは親こけしが6寸4分で、子こけしが1寸8分。親こけしの木地は作り付けで、胴は中央部がやや膨らみ、そこで上下に分かれるようになっている。春二のこけしにしては珍しく、ロクロ線は頭頂部のみで、他の部分描彩は全て手描きである。赤いドテラには木地の地色を残した花模様を散らし、縁を紫色で締め、襟の両脇にはトレードマークの蝶が飛んでいる。子こけしは桃色の衣を纏い、前には旭菊を、後ろには蝶を配している。母親の赤、子供のピンクの色彩が妙である。

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写真(3)は親こけしを上下に分けたところ。お腹に入れた赤子を見守る母親の優しい眼差しが心を和ませる一品である。

第927夜:橘コレクションのこけし(佐藤末吉)

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今日は終日雨模様の寒い一日であった。さて、今夜も橘コレクションのこけしである。「こけしと作者」の第二図(9頁)のこけし群像の中に掲載されているものの現品である。胴底のラベルには「花巻より」と書かれており、全体的な感じは鳴子系であることから、佐藤末吉のこけしが連想された。とは言え、戦前の末吉こけしと比べても、描彩はかなり異なり、古い作であろうと思われる。入手時は相当黒くなっており、恒例の消しゴム作戦で汚れを取ったので、描彩がかなりはっきり分かるようになった。口絵写真は、その表情である。

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写真(2)(3)が本項のこけしと胴底のラベルである。大きさは6寸2分。完全に鳴子系の形態で胴下部に鉋溝が1本入っている。頭は胴に緩く嵌め込まれて、キナキナのようにクラクラと動く。 末吉の経歴については第855夜に記載したが、師匠の伊藤松三郎と共に北海道や鳴子に行き、徴兵検査のために花巻に帰郷して開業したとある。徴兵検査は20歳の時に行うので、末吉が花巻に戻ったのは昭和初年と考えられ、このこけしはそれ以降のものと想定される。「愛玩鼓楽」のno762は昭和10年頃となっており、本項のこけしはそれより古い様式と思われることから、本項のこけしは昭和1桁台のものと考えられる。

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本項のこけしを末吉と考えた要因の1つに胴横に描かれた蕾が挙げられる。写真(4)は第855夜で紹介した昭和15年頃の末吉こけし(左)と本項のこけし(右)の側面を眺めたものである。いずれも胴下部の葉から茎が伸びて、その先に蕾が描かれている。「愛玩鼓楽」のno762にも胴の両脇に蕾が描かれていると書かれていることから、初期の末吉こけしには蕾があったことが推定される。なお、本項のこけしでは、蕾が下向きに描かれている点が興味深い。

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写真(5)は写真(4)の2本の頭頂部の様式。左の作は一般的な末吉こけしの頭頂部と変わらないが、右の本項の作では、前髪を束ねて後ろに回し、それを丸めて前髪に戻している。左とは明らかに異なる描法であり、類例を見かけない。また、赤い水引は「高亀」の様式に似ている。

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写真(6)に末吉のこけしを年代順に並べて見た。右から本項のこけし(昭和1桁代)、昭和15年頃、昭和10年代末から20年代初め頃、戦後20年代。右から2本目、4本目の帯付きこけしの胴模様は、本項のこけしの胴模様の真ん中の菊模様を帯で置き換えたものであり、3本目のこけしは、一番上の横菊を省いて、真ん中と下の正面菊を描いたものである。いずれも、本項のこけしの胴模様が元になっていることが分かる。

第928夜:間宮明太郎のこけし

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去る18日に締切を迎えたヤフオクに津軽系の古品が数本出品されていた。青森の旧家蔵出し品ということで如何にも古いこけしという感じがするものであった。全体的に保存状態はあまり良くないが、木村弦三コレクションの古こけし達と同時期のものと思われた。稀品の斎藤幸兵衛や状態の良い島津彦三郎の他、長谷川辰雄、佐々木金次郎、盛秀太郎(描彩なし)、間宮明太郎などである。一番に狙っていた彦三郎は27万を超え、幸兵衛も12万、他は2,3万で落札された。その中で、間宮明太郎を入手できたので紹介しよう。口絵写真はその表情。

津軽系の間宮明太郎は明治28年、南津軽郡大鰐の生まれ。明治42年、15歳より父忠太郎について木地修業を行ったが、こけしは殆ど作らなかったらしい。本格的にこけしを作り始めたのは、昭和になってからで木村弦三氏の勧めによる。その作るこけしは、全こけし中で最も原始的な形態とされ、描彩は児童画をみるようであるとされる。

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写真(2)は弦三コレクションの明太郎。「津軽のこけし」(弘前市立博物館発行)の125頁の写真である。明太郎のこけしは初期は目が点状や白目で表情のない埴輪のようなものであったが、次第に表情が出てくるようになる。

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さて、写真(3)が本項のこけし。大きさは8寸1分。木は如何にも古そう。1本の木地を首の部分でくびらせて頭と胴に分けた簡単な形態。胴模様は無く、裾部と胸部に2本ずつの鉋溝を入れて単調な寸胴にアクセントを加えている。胸部の鉋溝には色は無いが、裾部の鉋溝には紫(黒)色を入れている。弦三コレクションの胴も同様の様式であるが、胸部の鉋溝には赤色を入れたものもある。

全体的にモノトーンの色彩であるが、口には薄っすらと紅が差してある。これが唯一の色彩である。このこけしの一番の特徴は、目が大きいことである。弦三コレクションやその他の文献を見ても、このようなクリクリ目は見当たらない。

このこけしを手元で眺めていると不思議な感覚を覚える。他の幾多のこけしから感じる印象とは全く違うのである。確かに最初に作られたこけしは、このように簡素なものであったのであろう。弦三コレクションに見るように、この時期の明太郎はかすかなアルカイックスマイルを浮かべているのであるが、このこけしは目が大きいこともあって愛らしいこけしになっている。、

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