2月に体調を崩してから、本ブログも停滞状態が続いており、そうこうしている内に今月26日に高齢者になってしまった。同日、早速シニア割引で入場券を買ってしまった(苦笑)。さて、ブログの完結も間近となり、掲載すべきこけしを検討していたら、大事なこけしが未だ載っていないのに気が付いた。昨年9月から10月にヤフオクを賑わしたあの極美古品である。資金競争に敗れ、入手出来たのは4本のみであったが、内3本は紹介していなかった。今夜はその中から、本田鶴松のこけしを紹介しようと思う。鶴松のこけしは今まで入手する機会がなく、本品が初めてである。口絵写真は、その鶴松こけしの表情である。
本田鶴松は明治18年、福島県伊達郡板橋の生まれ。弥治郎で新山栄五郎の弟子となって木地修業をし、茶筒や菓子盆、こけし等の木地玩具を作った。37年(20歳)より22歳まで佐藤勘内の所で働き、その後の3年間は伝内の家で働く。42年頃、佐藤栄治の職人となり、大正4年には小原に移って木地業に従事した。こけしは中風にかかる昭和14年まで作ったようだ。昭和27年9月1日、68歳で没した。
こけしは明治時代から作っていたと思われるが、現在知られているのは小原に移ってからのもの。「こけし這子の話」掲載の4本や「こけし美と系譜」掲載の中屋蔵品が大正期の作として最も古いようだ。
さて、本項のこけしは大きさ9寸5分。退色も古色も殆ど無い保存の良さが素晴らしい。昭和初期とおもわれる古品がこのような状態で見られるのは奇跡的なことと言って良いだろう。木地形態はやや大きめの頭で、胴は中程でやや括れ、裾に向かってやや開いている。均整のとれたスマートな形態である。頭頂部のベレーは、中央の赤い大きめな円の周りを紫の太帯で囲み、その外側に緑の細線、赤の細線2本、緑の細線の配色になっている。前髪は紫で頭頂の紫ロクロ帯に連なり、赤い半円の髪飾りは赤い細ロクロ線の下から描かれている。頭部側面から裏面にかけて、黒い頭髪が覆っている。
眉と上瞼は太く大きく、対照的に鼻は小さく、紅を差した2筆の口も小さい。赤い頬紅はやや大きめである。これらが顔の中央部に寄っており集中度の高い表情となっている。鶴松のこけしと言うと額が広い印象があったが、このこけしで印象が一新した。胴の花模様は緑の茎葉も含めて筆太に描かれており、戦後の小原こけしの特徴でもある「線香花火」的な要素は微塵もない。胴上下の淡い紅色のロクロ線と中央部の赤と紫のロクロ線が全体を引き締めている。