今日は日差しが暖かく気温も上昇して、すっかり春らしい気候となった。そんな雰囲気につられて隣の駅にある税務署まで確定申告書を提出しに行った。最近はパソコンで申告書を作成できるようになり確定申告も随分と楽になった。一年振りに行った隣駅には「とろけるくりーむパン」で有名な広島八天堂の売店が出来ており、帰りに4種類(カスタード、生クリーム、小倉、チョコレート)のパンを買って帰って来た。さて、最近は古品から新品まで沢山のこけしがヤフオクに出品されており、古品とか人気工人作や定評のあるこけしはそれなりに高価になっている。しかし、じっくり探して見ると思わぬ掘り出し物が安価に出ており、しかも殆ど争うこともなく入手できることもある。こういうこけしを探すのもこけし収集の楽しみである。今夜は、そんなこけしで最近入手した伊豆護さんのこけしを紹介しよう。口絵写真は護こけしの表情である。
写真(2)がそのこけしである。2本一組で出品されており、競争者はおらず1500円で入手できた。左8寸8分で右は7寸、保存状態はほぼ完璧である。良く見慣れている護さんのこけしと比べると古風な雰囲気を漂わせている。そして何処かで見たような気がした。それは「こけし辞典」であった。「こけし辞典」には6寸(S36.10)と8寸(S42.1)の写真が載っており、8寸のこけしが胴模様も含めて同じである。写真(2)では右7寸がロー引きが無く、胴底に署名と「42.1作」の書き込みがあり、「こけし辞典」の8寸と同時期の作と思われる。8寸8分の方は、肩の山の盛り上がりも大きくなって、もう少し後の作ではなかろうか。
伊豆護さんのこけし製作については、「こけし手帖38号」で西田峯吉氏が解説されている。それによると、銀山こけしは、初代の伊豆定雄が昭和13年に没してから廃絶状態にあったが、34年の12月に西田氏としばたはじめ氏が護さんにこけしの復活を奨め、35年1月から作り始めたとある。その復活初期のこけしは本項のこけしと同様の胴模様であるが、肩の山が低いのが特徴である。その後は37年5月の友の会旅行の時に作り、その写真が、こけし手帖42号の大石氏の記事『復活した銀山こけし』に載っている。このあたりが初期の護こけしと言えるのであろう。